「頭が真っ白になった」キングヘイローと挑んだ98年祭典【福永祐一連載②】

 キングヘイローと挑んだ初ダービーは14着に終わり、呆然とした表情で引き揚げてきた福永
 スプリンターズSを制したピクシーナイト(左)=21年10月3日・中山競馬場
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 3月から調教師に転身する福永祐一騎手(46)=栗東・フリー。現役ラスト騎乗が刻一刻と迫るなか、時代を彩った名馬やレースとともに、希代のスター騎手となった彼のヒストリーを全8回の連載で振り返る。

  ◇  ◇

 デビュー2年目の97年。福永はキングヘイローと出会う。

 同馬の父は86年凱旋門賞などG1・4勝を挙げ、当時の欧州最強と呼ばれたダンシングブレーヴ。また、母は88年ケンタッキーオークスなど米G1V7の名牝グッバイヘイロー。デビュー前から評判だった世界的良血馬の手綱を任されると、期待に応えて新馬戦-黄菊賞を連勝した。

 続く東スポ杯3歳S(現・東スポ杯2歳S)では中団からじっくりレースを進めると、うなるような手応えで4角を回り、直線楽々と抜け出して2馬身半差の完勝劇。福永にとってはデビューから1年9カ月でのJRA重賞初制覇となった。ゴールを前に早々と左手でガッツポーズした鞍上は、「本当は右手でやりたかったけど、ステッキを持っていたので…。馬には余裕がありましたが、人間に余裕がありませんでしたね」と初々しく振り返っている。12月のラジオたんぱ杯3歳S(現・京都2歳S)2着で初めて黒星を喫したが、この年の戦績は4戦3勝。翌春のクラシックに向けて順風満帆のスタートを切った。

 3歳初戦はトライアルの弥生賞へ。この年のクラシックで“3強”を形成したスペシャルウィーク、セイウンスカイとの初対戦。ファンは単勝1番人気に支持したが、追いだしてからの反応がイマイチで、2頭には完敗の形に終わった。「勝ち馬から4馬身(半)差は、『本番』へ向けてちょっとピンチですね…」。レース後に語った言葉に大きなショックの跡がうかがえた。

 しかし、クラシック初戦の皐月賞で人馬が意地を見せた。好スタートを決めると、道中は課題の折り合いも十分。逃げたセイウンスカイを直線で猛然と追い詰め、スペシャルウィークの追い上げを封じ込めて2着に入った。「馬はすごく良くなっていたのに…」。胸中には当然、悔しさはあった。それでも、『本番』への手応えはしっかりと感じ取った。

 そして迎えた運命のダービー。しかし、夢見た晴れ舞台での騎乗は、まさかの結末に終わる。「緊張にのまれて、頭が真っ白になってしまった」-。大勢の観衆がスタンドを埋め尽くし、熱狂に包まれた異様な雰囲気の中、スタート直後から折り合いを欠き、キャリア初となる逃げの形に。最後の直線で力は残っておらず、ズルズルと失速。「馬群にのみ込まれる時、自分で馬から降りたいと思ったほどだった」。14着と大敗。夢舞台が一転、悪夢となった。

 その年の有馬記念を最後に、主戦の座を外れることになった。だが、騎手としてキャリアを重ねてもキングヘイローの存在は常に心にあった。“相棒”のG1初制覇となった00年高松宮記念は、2着ディヴァインライトの馬上で見届けた。「やっとタイトルが獲れて良かった」。ようやくつかみ取った栄冠に、心から賛辞を贈った。

 キングヘイローは19年にこの世を去ったが、その2年後にドラマが待っていた。21年スプリンターズSを、母父にキングヘイローを持つピクシーナイトで優勝。「キングヘイローの血が入った馬でG1を勝てて最高にうれしい。ようやく恩返しができたんじゃないかな」。偽りのない言葉だった。

 調教師試験の合格者発表記者会見で、「多くの馬が自分を育ててくれた」とこれまでの騎手人生を振り返った福永。間違いなくキングヘイローも、その大切な一頭だった。

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