激動の1999年 歓喜のG1初制覇と落馬による腎臓摘出【福永祐一連載③】
3月から調教師に転身する福永祐一騎手(46)=栗東・フリー。現役ラスト騎乗が刻一刻と迫るなか、時代を彩った名馬やレースとともに、希代のスター騎手となった彼のヒストリーを全8回の連載で振り返る。
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デビュー4年目。22歳の春、ついにその瞬間は訪れた。1999年4月11日に行われた桜花賞。4番人気のプリモディーネで参戦した福永は、25度目の挑戦で待望のG1初制覇を成し遂げた。
「クラシックを勝ったなんてまだ信じられない。いつも“G1はまだか、まだか”と言われ続けてましたからね。もう最高ですよ」。1番人気馬スティンガーの出遅れで場内がざわつく中、冷静に流れを見極めチャンスを待った。後方外めをスムーズに追走。4角でさらに外に持ち出すと、一緒に伸びた武豊騎乗のフサイチエアデールをかわし去り、左腕を天に向かって大きく突き上げた。
父・洋一さんは現役時代にインターグロリア(1977年)、オヤマテスコ(1978年)で桜のタイトルを獲得。親子2代の桜花賞制覇を飾り、母の裕美子さんは「もう、うれしいのひと言です。特に祐一にどうなってほしいという期待はしていません。あの子が楽しく騎手を続けていってくれれば」と喜びを語るとともに、息子の無事を祈っていた。
しかし、好事魔多しとはこのことか-。牝馬2冠が懸かるオークスを視界にとらえた刹那だった。歓喜の桜花賞Vから6日後の小倉大賞典。返し馬で騎乗していたマルカコマチが物見して落馬した。その際に背中を踏まれ、肋骨骨折と左腎臓の一部を損傷する重傷だった。
しかし、腎臓摘出の手術とリハビリを乗り越え、7月の新潟競馬で復帰。「ケガをしている間もずっと前向きに考えていたし、自分の思った以上に早く復帰ができた」。脅威的な回復を見せ、落馬負傷からわずか約3カ月での戦線復帰となった。
チャンスが見込まれたオークスやダービーは棒に振ったものの、休養期間で当時フランスに長期滞在していたエルコンドルパサーを応援するため渡仏し、同馬のサンクルー大賞勝ちをライブ観戦する幸運に恵まれた。
浮き沈みの多い一年になったが、名馬との出会いもあった。11月にデビューしたエイシンプレストンだ。折り返しの新馬戦を勝利すると、中2週で挑んだ朝日杯3歳Sは見事に差し切りV。レース直前にゲート入りを嫌った相棒に振り落とされるアクシデントはあったものの、大ケガを乗り越えたユーイチは動じなかった。
後方でじっくり構えると、直線は先に抜け出したレジェンドハンターを目がけて追う。「1頭が抜けてたんで無理かなとも思いました。でも、すごく伸びてたし、勢いで。もしかしたらって」。最後は笠松の雄をとらえて歓喜のゴールに飛び込んだ。
自厩舎でうれしいG1初勝利。北橋修二調教師は「これでG1を2つ勝ちましたが、これを糧にもっともっと前進して、競馬の発展に貢献するような騎手に育ってほしいですね」と熱いエールを送った。1月の京都牝馬特別(マルカコマチ)で師弟重賞初Vを飾った際には、ひと目もはばからず師の腕で男泣きしたが、今回は涙はなく、晴れやかな表情。ユーイチは「中身の濃い一年でした。ボクにとって、すごくいい一年でしたね」と激動の1999年を総括していた。
プレストンとは全32戦の手綱を取り、香港G1を3勝(01年香港マイル、02-03年クイーンエリザベス2世C)。国内外で活躍する名コンビになった。