2008/4/20 宮島競艇場
▼第9回G1競艇名人戦 | |||||
着順 | 連番 | 選手名 | 住所 | 進入 | ST |
1着 | @ | 田中 伸二 | 広島 | 1 | 11 |
2着 | B | 尾崎 鉄也 | 長崎 | 3 | 08 |
3着 | E | 若女井 正 | 神奈川 | 6 | 21 |
4着 | C | 荘林 幸輝 | 熊本 | 4 | 07 |
5着 | A | 村上 信二 | 岡山 | 2 | 04 |
6着 | D | 瀬尾 達也 | 徳島 | 5 | 05 |
地元・田中が悲願のG1初制覇―。広島県・宮島競艇場で開催されていた「G1・第9回競艇名人戦」は20日に最終日を迎え、12Rで優勝戦が争われた。人気を集めた地元の田中伸二(50)=広島・A1・42期=がイン押し切って優勝。3度目のG1優出で、G1初、通算では43回目の優勝を飾った。2着は尾崎鉄也、3着に若女井正が続き、瀬尾達也は6着に終わった。
地元戦でG1初制覇を喜ぶ田中伸二(中央)
選手生活30年。通算3度目の優出でG1初制覇を成し遂げた田中。コツコツと一般戦を歩み続けた寡黙な男は、晴れ舞台に立っても淡々としたいつもの語り口だった。地元宮島で初めて開催された名人戦で優勝戦の1号艇。「プレッシャーはあったが、いいプレッシャーになるように自分に言い聞かせていた」と重圧をはね返し、こん身の逃げを決めた。
強い向かい風の吹く水面コンディション。外枠の瀬尾と若女井はプロペラを替え、チルトをはねて伸び仕様。さらに2〜5コースまでの4人がゼロ台Sを放ちインの田中に襲いかかった。「スタートした時は村上選手が前にいたので失敗したかなと思ったが、少し伸びていった。締めてくれたから逃げられた」と強気に1Mを先マイ。その後は丁寧に周回を重ねてG1初Vのゴールを駆け抜けた。
地元代表としてドリームに選出された今大会。「2日目前半から人と合わせても強かった」と2位で予選を突破。優勝を有力視された瀬尾を準優、優勝戦で破り見事頂点に立った。「今節はエンジンがいいから、たまたま勝てた。自分は名人になる器じゃない」と最後まで謙虚なコメントを繰り返した。名人戦史上、最もクールな覇者は、責任を果たし、ホッとした表情で地元宮島を後にした。
1周1M
【田中神技の先マイ】
【12R優勝戦】追い風だった水面が、8R以降は向かい風に変わった。優勝戦では、スタートラインに対して5メートルと強い向かい風。進入はS展示と同じ枠なりの3対3。2〜5コースまでの村上、尾崎、荘林、瀬尾がゼロ台の速いスリット攻勢を仕掛けてきた。インの田中はコンマ11のS。締め込んでくる村上を突き放しイン先マイ。1周1Mで抜け出すとG1初Vへとひた走った。2着争いは外マイの尾崎と、6コースから差した若女井で接戦。2周1Mで内を回った尾崎が外マイの若女井を振り切り2着に浮上した。瀬尾は1周1Mで行き場がなく6着。
Sは全速で行けました。横の村上君が行くと思ったが、やめてしまったので…展開がなかった感じです。脚は自分なりに仕上がっていたと思うが、周りも出してきてましたね。
Sがすべてでしたね。自分なりに全速で伏せ込んで行ったんですが…。脚は伸びはもちろん、マイ脚もきてた。3着なら上出来。見せ場は作ったつもり。
4カドが手に入ったし、Sは全速で行けたけど、脚合わせのときから弱さは感じてました。完全に機力負けでしょう。
1Mで差しに行くか、まくるかで迷ってしまった。舟がちょっと浮いたので差しに回った。
Sはしっかり行けたと思った。でも1Mは行き場がなかったので仕方ないです。
田中伸二(たなか・しんじ)1957年5月13日生まれ、50歳。身長161センチ、体重56キロ。血液型はO型。競艇学校を42期生として卒業し、78年5月に宮島でデビュー。80年2月に宮島で初優勝。88年2月の中国地区選手権(宮島)でG1初優出。94年3月に総理大臣杯(平和島)でSG初出場。08年4月の第9回競艇名人戦(宮島)でG1初優勝。通算優勝回数は43回。通算獲得賞金額は7億3053万7922円。