2008/10/13 丸亀競艇
▼丸亀SG全日本選手権 | |||||
着順 | 連番 | 選手名 | 住所 | 進入 | ST |
1着 | @ | 丸岡 正典 | 奈良 | 1 | 14 |
2着 | B | 瓜生 正義 | 福岡 | 4 | 15 |
3着 | C | 石田 政吾 | 石川 | 5 | 16 |
4着 | E | 木村 光宏 | 香川 | 2 | 17 |
5着 | D | 松本 勝也 | 兵庫 | 6 | 15 |
6着 | A | 今垣光太郎 | 石川 | 3 | 21 |
「SG第55回全日本選手権」は13日、香川県・丸亀競艇の最終日12Rで優勝戦が行われ、イン先マイを打った丸岡正典(29)=大阪・85期・A1=が、まくり差しで迫る瓜生を2M差しでかわして快勝。SG初優出で初優勝を飾り、栄えあるダービー王の称号と優勝賞金4000万円を獲得した。最後の3周2Mまでしぶとく食い下がった瓜生が2着に入り、3着には石田が2周1M差しで木村を競り落として続いた。
SG初優勝を和田アキ子(右)に祝福される丸岡正典
激戦を勝ち抜いた。ゴール後、丸岡は勝利を確信していただろう。だが、最後まで食らいついた瓜生への配慮もあってか、控えめなガッツポーズになった。
表彰式でイメージキャラクターを務める和田アキ子さんに言われた。「アタシはもう有名やからエエ。これからはこの丸岡君を有名にしていかなアカンね」。芸能界のご意見番から強い後押しをもらえたのは、競艇界ではこの丸岡だけだ。
ただ、丸岡はSG優勝を飾れたという実感が沸いてこない様子。本人も「これからどうなるのか丸岡正典」とこぼすくらい。ただ、ペラには自信を持って臨めたことだけには胸を張る。
「直前の住之江(G1・高松宮記念杯)がすべてですね。太田(和美)さんにアドバイスをもらって、いいペラが完成しました。調整の仕方も教わったんですよ」
住之江と丸亀は同型エンジン。住之江で仕上げたペラならピタッと合うはずだ。「気がついたら得点率トップ。こんな低い(7・60)のに…と思いましたね」。いいペラでいい脚に仕上げただけでなく、シリーズの流れをも引き寄せたのだ。
今年2月、丸岡はひそかに計画を練っていた。「勝率を稼いでダービーへ。そこで優勝、賞金王決定戦に出る」。絵を描いたとおりになったが、まだその続きがある。それは1億円バトル(賞金王決定戦)を制すること。艇界一の有名人になった丸岡の“未来予想図”は果てしなく大きい。
1周2M
進入はS展示と同じく、地元の木村が前付けに動いて162・345の並び。スリットではイン丸岡、カド瓜生がのぞく。丸岡はそのまま先マイを打つが、中へこみのスロー2艇をたたいた瓜生もまくり差しで肉薄。バック並走から2Mは瓜生が強引に先取りするが、角度をつけて切り込んだ丸岡の差しが届く。逃げる丸岡に対して、食い下がる瓜生はツケマイ連発で追撃。小差のまま迎えた3周2Mは、瓜生がこん身の差しハンドルを入れるが届かず。丸岡がコンマ2秒差で瓜生を退けた。3着争いももつれ、2周1Mで木村をさばいた石田が競り勝つ。
地元の木村光宏がS練習と同じように回り込んで、楽な2コースに陣取ったが結果は4着。「地元は気持ちだけで走る」と宣言した男が、エンジンを徐々に仕上げ、モチベーションを一段と高め、準優では6コースから執念の2着。「優勝戦はピット離れを良くする整備で、本当はインが欲しかったが、逆に伸び止まる感じだった」。“目指すは日本一”と豪語した木村は「この経験を次につなげたい」と、さらなる飛躍を誓った。
エンジンは仕上がっていた。丸ちゃんよりも少し強いくらいだった。道中は差して届かないと思ってツケマイ、ツケマイで行ったが、結果的にはレースの失敗。
丸岡君、瓜生君の2人の脚が抜けてたから、展開を突くこともできなかった。
良いSを行きたかったが、アジャストした。今垣さんがキャビったせいもあるが、しょうがない。チャレンジ出場の権利もあるし、次も頑張る。
2コースでも3コースでも良かった。狙いとしてはツケマイに出たかったがS遅れた。でもペラが仕上がった。次も頑張れる。
丸岡正典(まるおか・まさのり)1979年8月21日大阪府生まれ、29歳。身長170センチ、体重51キロ。血液型はO型。府立豊島高校卒業。競艇学校85期を卒業し、99年11月に住之江でデビュー。同期の田村隆信、湯川浩司、井口佳典らとともに「銀河系軍団」と呼ばれ、注目を集める。02年3月に常滑で初優勝。08年10月に丸亀全日本選手権でSG初優出、初優勝を決めた。通算優勝回数22回。通算獲得賞金額は2億8361万6000円。