【ボート】ボクサー出身、岩橋裕馬の闘いの日々
「ボートレース記者コラム・仕事 賭け事 独り言」
9月9日まで、122期生の募集が行われているボートレース。選手の募集要項には、一般枠の他に、さまざまな競技で、世界や国内で優秀な実績を持つアスリート向けに“特別枠”が設けられている(募集は今月31日まで)。その枠のひとつは“日本ボクシングコミッション公認A級ライセンスの資格を取得し、日本ランキング5位以内の者”と記された、ボクサー向けの要項である。上記の要項を満たした元ボクサーが、兵庫支部で懸命に練習を続けている。日本ミニマム級1位の実績を持つ118期の新人、岩橋裕馬(28)だ。
兵庫県の森岡ジムに所属し、13年2月26日にはボクシング界の聖地、東京の後楽園ホールで、日本ミニマム級王者・原隆二を相手にタイトルマッチを挑んだファイター。彼は選手生活の傍ら、兵庫県・猪名川町B&G海洋センターで、エアロボクシング教室のインストラクターとしてバイト業務に従事していた。
昭和48年に、モーターボート競走法20周年を記念して設立された「B&G財団」。ボートレースともゆかりのある職場で、彼の目に入ったのが、ボートレーサー募集のポスター。そこでボクサー特別枠の要項を発見し、岩橋の魂は揺さぶられた。「引退したら絶対この道に進みたいと思ってました」と決意を胸に、14年の特別枠を受験。数々の適性検査をクリアして、15年4月、やまと学校(福岡県柳川市)に入学。教官から「お前がダメだったら、今後ボクサーは採用しないぞ」と幾多の厳しい指導や練習に耐え、晴れて今年3月に卒業。5月から、兵庫支部の選手として、ボートレーサー生活が始まった。
自らの拳ひとつで、数多くの修羅場をくぐり抜けてきた猛者は、「勝負の世界に入るからには、一番を取るつもりできた」と強い野心を持つ。だが、ボートレースの勝負の世界は、ボクシングの日本ランカーとはいえ、なかなか甘いものではない。12年11月にデビューした、日本ミニマム級の22代王者、金光佑治(32)=大阪・111期・B2=は今年6月、多摩川で初出走から404走目にして、ようやく初勝利を挙げた。同級1位の岩橋も、デビュー2戦目の蒲郡(6月)で4着の成績を最高に、6着が並ぶ厳しい結果が続く(8月14日現在)。コンマゼロ台のSを決め、道中で上位を狙える好位置を確保するも、2周目以降のコーナーでハンドルミス…、と技術的に未熟なレースもあった。「年齢も若くないので、人の何倍も何倍も練習するしかない」と悔しさを胸に秘めた。
さらに同じ兵庫支部の新人、森悠稀(23)が「肩の荷が下りた感じで、めちゃくちゃうれしかったですね」とまるがめの一般戦(7月)でデビュー27走目に初の1着。やまと学校の卒業レースを制し、“やまとチャンプ”の称号を得た板橋侑我(20)=静岡・B2=も初出走で2着と鮮烈なデビュー。30走目の戸田(7月)で水神祭を飾り、チャンプの名に恥じない好走を披露している。同期の活躍に「先輩から焦らなくていいと言われるが、やはり意識はしてしまう。でも、気持ちだけは負けないようにしている」と前を向いた。
ただ、気持ちだけでは選手としての成長はない。「白石健さんにお世話になって、ペラやエンジン特性をいろいろ教えてもらってます」と、兵庫支部の先輩選手から、アドバイスを参考に、選手としての技力向上へ努力を続けている。「ペラをしっかり叩きながらみっちり練習して、悪いエンジンでも勝てる技術を磨きたい」とどん欲な姿勢をみせる。培った技術を生かせる、頭脳を使った戦術面の向上も欠かせない。「ボクシングをしてる時でも、がむしゃらに行くタイプの人や、頭を使う人がいる。やはり勝負は頭を使わないと勝てない。どうやったらボートを速く操縦できるかなど、考えながらレースに臨みたい」と思考を巡らせた。
ボートレーサーとして、最初の目標は水神祭だが、「早くB1に昇格して、さまざまなレースを走ってA級レーサーを目指したい」とあくなき上昇志向を持つ岩橋。だが、記者としてはボクシングに続き、ボートレース界の聖地、住之江で艇界の最高峰「SG・グランプリ」のステージに立つ姿を見てみたい。「グランプリですか?やっぱり出場してみたいですね」と表情が少し和らいだ気がした。
ボクシングで相手を倒すために握られた拳は、ボートレースでは自らの勝利をたぐり寄せる、レバーやハンドル操作の要となる。岩橋がさらなる技量と頭脳プレーを磨き、初勝利を挙げるのは、そう遠くはないはずだ。(関西ボート担当・保田叔久)