【ボート】レーサーにとってどちらも過酷な増量と減量
「ボート記者コラム・仕事 賭け事 独り言」
新型コロナウイルスの脅威が続く中、今年が終わろうとしている。ボート界にもさまざまなことがあったが、『艇界のプリンス・今村豊引退』を、重大ニュースの上位に挙げて、論は待たないだろう。
10月8日、東京・六本木で行われた引退会見に出席した。やり遂げた人の見せるすがすがしさと、一抹の寂しさが伝わる会見だったと思う。
今村さんが、引退を決める契機となったのは、最低体重制限が51キロから52キロに引き上げられたことだという。ボクシング担当のころ、減量に苦しみ、工夫をこらす選手たちをずいぶん取材しただけに、これには「?」。すぐにピンと来なかった。
「元々、体が小さいので、ボートレーサーになったんです。レースが終わって宿舎に帰ったら、すぐに食事が待っている。こちらは、マラソンを走った後みたいに『ゼイゼイ』言ってる状態。食べたくないものを、嫌々食べるのも苦しいものです」
会見の席で、今村さんは、淡々と打ち明けた。減量が限界に来たのか、と勘違いしていた私は、内心驚いていた。恥ずかしい限りである。
今村選手の引退会見から1カ月後の11月11日、多摩川で127期のルーキーがデビューした。登録番号が、現在一番大きい5175の島崎丈一朗選手だ。9R6号艇で、好Sを切ったが、6着だった。
公式プロフィルによると、2004年1月生まれの16歳。身長172・1センチ、体重56・3キロとある。ボートレーサーとしては大柄だ。レースでは、軽量の方が有利なだけに、減量は仕事の一部。育ち盛りだけに「体重を考えて、食べ過ぎないよう気を付けています」と、減量は厳しい。
名前の「丈一朗」から、「辰吉丈一郎」を連想するが、ボクシングとは無縁ではなかった。伯父が、元日本ライトフライ級王者の牧山雅秀氏だった。伯父さんに、減量の仕方を教わったことは-。
「ボクシングの場合は、短期間にやりますから。水抜きとか。ボートとは、ちょっと違いますね」と、表情を引き締めた。21年、島崎の「闘い」は1月3日から始まる平和島の東京ダービー。初勝利を期待している。(ボートレース担当・津舟哲也)