【ボート】菊地孝平に降りてきた「不撓不屈の精神」という言葉
「ボートレース記者コラム 仕事・賭け事・独り言」
取材現場にいると、時に奇跡的とも言える瞬間が訪れる。5月のG1・児島周年でそれは起きた。今年絶好調の島村隆幸(徳島)がSGの猛者を相手にシリーズをリードし、3日目終了時得点率1位。注目度は日増しにアップしていた。
その一方で、児島周年V2の実績を持つ菊地孝平(44)=静岡・82期・A1=は苦戦。ドリームこそ3着に粘ったが、2日目は4、5着。3日目は1Rで6着となり、存在感は薄れつつあった。
G1レースでは出場選手も取材記者も大人数。記者には取材制限が課され、なるべく重複取材は避ける。選手は宿舎での混雑を回避するため、3便制で宿舎に戻る。
1Rを戦い終えた菊地は8R後の1便。リュックを背負って点呼の場所へ向かう後ろ姿は、心なしかさみしげだった。いつも大勢の記者に囲まれ、キャッチーな言葉で沸かせている菊地の姿を遠巻きに見てきた私は胸がチクッと痛んだ。声をかけたい。でも、菊地はコメントを既に他の記者へ済ませている。まくり差しに入れず6着に終わった1Rを振り返り「最近を物語っている。足は悪くないし、レースはしやすい。最近は自分が乗れていないからバランス型にして落ち着いてレースをしたい」と完璧なコメントを残していた。菊地の後ろ姿に「ドリームの得点増しがありますから、連勝なら準優に間に合いますよ」と心の中で言葉をかけて見守った。
と、その瞬間、遥か前方を歩いていた菊地が上を見上げ、ハッとした表情をした。そして、斜め真っすぐにスタスタスタと歩き、私の前に立ち、前置きなしでこう言った。「不撓不屈(ふとうふくつ)って書けます?」。私は頭に文字を浮かべ、「あ~、頭には浮かんでいますけど、今すぐは書けません」。「じゃあ、宿題。今、降りてきたんですよ、不撓不屈の精神という言葉が…」。その時、菊地にいつもの眼力が戻っていた。「最近、自分のターンができない」と悩み、うつむいていた前日までの姿ではなかった。
私はすぐに検索し、文字を確認。読むことはあっても、書いたことのない文字が含まれている。それは『撓』。宿題を与えられた私は、家で何度も何度も書いてみた。パッと見は難しいが、手ヘンに土3つの下に、と分解して覚えるとなじんできた。漢字練習なんて小学生以来だ。アナログな私は若い人よりペンで書く作業は多いが、不撓不屈は書いたことがなかった。書いているうちに「この文字、どこかで見たな」と思い出し、調べると藤井聡太名人が17歳当時に残した言葉に行き着いた。それは、「連勝できたのは僥倖としか言いようがない」という言葉だ。僥倖の『僥』と不撓不屈の『撓』。人ベンと手ヘンの違いだけでそっくりだ。不撓不屈の意味は、どんな困難な状況でも決してくじけずあきらめないこと。僥倖は思いがけない幸運とある。私の中でつながった。
準優へ連勝条件だった菊地は前半1Rで惜しくも2着。後半11Rで1号艇を残していたが、自力での予選突破はなくなった。だが、私はどうしても伝えたかった。不撓不屈の精神の先に僥倖があると…。レース前の菊地に話しかけるかどうか迷っていると、菊地の方から笑顔で声をかけてきた。「アレ、もう書けちゃいました」と不撓不屈は攻略済み。私は、付箋いっぱいに書き殴った紙を渡して説明した。不撓不屈からの僥倖を、藤井聡太名人の言葉を引用し、何かが起きると伝えた。言葉の達人である菊地はすぐさま理解して「使わせてもらいます」とニッコリ。11Rでは1マーク(M)で島村に差されたが、2Mはこん身の差しで逆転。1着ゴールで戻ってくると、「僥倖です」と私だけに分かる言葉をくれた。その時点で、菊地は相手待ち。得点率5・67でわずかに予選突破の可能性が残されていた。そして、予選最後の1着が物を言い、18位で準優進出を果たした。
昨年末から、菊地はターンのリズムを崩していた。名手・菊地といえどスランプはある。私は、菊地が流れを変えるのは児島しかないと思っていた。そして、その瞬間がついにおとずれたと確信した。児島周年後がフライング休みだった菊地は「悪いイメージのままで休みに入りたくなかった。いい形で休みに入れるよう、ファンの皆さんに喜んでもらえるレースをする」とチルト0・5で準優に臨み5着。最終日は1、2着で締めくくった。
あれから1カ月。菊地は20日に開幕するSG・グランドチャンピオンから戦列復帰。7月には児島で開催されるオーシャンカップも待っている。長いトンネルを抜けた菊地が、SGの舞台で輝く姿が目に浮かぶ。そして、対局後の藤井名人の揮毫(きごう)のように、勝者としてサインに不撓不屈と書き添える。不撓不屈の精神が、菊地をよみがえらせる!!(児島ボート担当・野白由貴子)