【競輪】中川諒子&菅田賀子オンとオフ
2012年7月に復活したガールズケイリン。今年5月には106期生(女子3期生)がデビューして、ガールズレーサーは総勢69人となった。そこでデイリースポーツではダッシュ力を生かした競走で安定感がある中川諒子(30)=新潟・102期=と、積極的なレースで風を切る菅田賀子(29)=新潟・104期=のオンとオフをリポート。合わせて18日開幕の「G1・第23回寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント」の舞台となる弥彦競輪場、およびその周辺の情報も紹介していく。ガールズケイリンマニアはもちろん、そうでない人もガールズケイリンにハマるかも。
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中川も菅田も家族に競輪選手がいる環境で育ったが、選手になるきっかけは、全く関係のないところからだった。
◆中川「学生時代からスポーツ(ウエートリフティング)はやっていましたが、自転車競技のことはまったく意識していなかった。自転車といえば、大学進学で熊本から東京へ上京し、アパートから大学まで自転車に乗って通っていたくらい。いつも兄(誠一郎)がきっかけでガールズケイリンに入ったと思われているが、一番最初のきっかけは2歳上の姉からの電話でした。姉がガールズケイリン再開の記事を見て、自分に連絡をくれたんです。別に働いていた職場に不満とかなかったけど、すぐ競輪選手になりたいと思って、親に話をしました」
◆菅田「私は東日本大震災が転機でした。自宅は被害の大きかった仙台市荒浜地区にあるんです。自宅は無事だったけど、目の前で壊れていく家や、流されていく人を見て、人生観が変わりました。そんなとき、停電で薄暗い自宅で母親に言われたんです。『ガールズケイリンが始まるんだよね』って。その話を聞いてから、もしかしたら地震で死んでいたかもしれないし、何か頑張ってみようって思ったんです」
中川はガールズ1期生(102期生)として12年7月に、菅田は2期生(104期生)として13年5月にデビュー。今年5月にデビューした3期生(106期生)が加わり、ガールズケイリンは戦国時代へ突入した。
◆中川「3期生の存在は刺激になっています。特にナショナルチームで一緒の石井貴子さん(千葉)と小林優香さんは気になりますよ。以前は漠然とオリンピックのことを考えていたが、最近は真剣にやってみようかと思っています。2年後のリオが年齢的にも最後のチャンスと思う。3期生にも負けたくないので頑張りたい」
◆菅田「ガールズも代謝制度(一定の要件を満たせなかった選手のうち、1期間=半年間で3人が引退させられる)が始まったので、現実を突きつけられた感じです。でも、自分のスタイル(先行)は変えたくない。守りに入るレースはしたくない。腹をくくってやるしかありません」
中川は2年後に迫った16年リオデジャネイロ五輪出場、菅田は先行選手として逃げ切っての1着を目指して、日々厳しいトレーニングに励んでいる。
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中川も菅田も弥彦村が主催するガールズケイリン選手を育成する「クラブスピリッツ」の出身。2人とも地元から新潟県弥彦村に移り住んで生活を送っている。ここでは2人にオフの時間の過ごし方を聞いてみる。
◆中川「私は競輪のレース以外に、ナショナルチームの遠征とかがあるので、弥彦にいる時間が少ないこともあります。でも、今は弥彦に帰ってくると落ち着きますね。海外遠征や競輪の開催が続くことが多いので、自炊よりも外食が多いかな。オススメは弥彦村の中にある『かのや』『吉田屋』『ラーメンやまだ』。この3軒はよく行くお店ですね」
◆菅田「私も弥彦村の中で食事することが多いかな。あとは温泉もよく行きますね。練習して疲れた体を癒やしてもらいます。弥彦にある『さくらの湯』や多宝温泉の『だいろの湯』によく行きます」
◆中川「あとは車が好きなので、運転している時間が好きですね。ただ、今乗っている車は大学を卒業して、JR九州で働いていたころから乗っているパジェロミニ。大きい車が好きなんですよ。今乗りたいのは大きなSUV。兄(誠一郎)が乗っている車を譲ってもらおうと思ったが断られた(笑)。大きなレースを優勝したら買おうと思っているけど、自分は大舞台に弱い(ガールズグランプリ、ガールズケイリンコレクションなど特別競走の常連だが、まだ勝てていない)のでいつになるやら…」
◆菅田「今はオフの時間も練習したいので、自宅にパワーマックスが欲しいですね。今は新潟市内のジムまで行かないと、パワーマックスを使った練習ができないので、移動が大変なんです」
1カ月に2、3回は競走(基本は3日間レース)を走っているため、オフの時間は少ないが、2人とものんびりとした弥彦の空気で癒やされているようだ。