自らの役割学んだ明徳義塾・松下記録員
「全国高校野球・準々決勝、日大山形4‐3明徳義塾」(19日、甲子園)
一塁ベンチで敗戦を見届けた明徳義塾・松下雄一郎記録員(3年)の目からは涙があふれ出た。「選手を続けていたらベンチに入れなかった。甲子園に連れてきてくれた仲間と、明徳に行かせてくれた親に感謝しています」。今まで自分に関わったすべての人への感謝の思いがこみ上げてきた。
京都の野球少年は甲子園を目指し、中学から明徳義塾に進学。覚悟を持って12歳で親元を離れたが、中1秋に右肘を故障した。選手としての岐路に立たされると寮を抜け出した。実家で1カ月間悩み抜いた末、最終的には自分で決断した。
高校はマネジャーとして入部。さらに3年間裏方に徹する決意を固めた背景には甲子園への憧れがあった。中国語専攻コースに在籍し、1年冬から1年間中国に留学。異国の地で情報だけを集めていた昨夏の甲子園4強は心中複雑だった。
帰国後も、自分は甲子園に行けるのか常に不安だった。練習の手伝い、道具の管理、弁当の手配などグラウンド内外の雑務をこなし、選手が野球に集中できる環境づくりに専念。「明徳のマネジャーの仕事は大変。松下抜きでチームは回らん」と、今では馬淵監督の信頼も厚い。今夏の高知大会優勝時には号泣した。
野球には高校で区切りをつける。日常会話レベルまで習得している中国語にさらに磨きをかける道に進む予定だ。「これからも人を支える気持ちを忘れずにいきたい」。自身の役割を知った明徳野球部での経験は、すべてが財産だ。今後も自分なりの活躍場所を求めて輝き続ける。