大阪桐蔭・中村 屈辱乗り越えて頂点に
「全国高校野球・決勝、大阪桐蔭4-3三重」(25日、甲子園)
どん詰まりだった。一塁へ走りながら大阪桐蔭・中村誠外野手(3年)は祈った。「落ちてくれ」。1点を追う七回2死満塁。フラフラと舞い上がった打球は中前に落ちた。2者が生還。苦しんだ1年を象徴するような泥くさい逆転タイムリーだった。
屈辱から始まった今年のチーム。昨秋の大阪大会4回戦で履正社に1‐13でコールド負けを喫した。センバツ出場を逃し、中村は主将として責任と情けなさを感じたという。
長い冬。死にものぐるいでバットを振った。下級生任せだった寮の掃除に率先参加するなど生活面も改めた。すべては「夏に日本一になるため」だった。
迎えた夏。試練は続いた。大阪大会3回戦で顔面に死球を受け鼻骨を折った。スタンドで観戦していた母・幸子さん(50)は「これで終わったと思った」と振り返る。
しかし、1試合は欠場したがすぐに復帰。甲子園の土を踏んだ。故障中に励ましてくれた家族や仲間への「恩返し」の舞台。準々決勝、準決勝では2試合連続本塁打を放った。勝負強いバットでチームを引っ張り、「日本一」の夢をかなえた。
戦いを終えた中村は感極まって号泣した。大観衆の前でお立ち台に上がると「主将をやり切れるか不安だったけど、みんなが助けてくれた。チームが束になった」と語った。そして最後に「最高で~す!!」。甲子園の空に主将の明るい声が響いた。