甲子園が生んだ怪物たち~松坂大輔
平成の怪物-。1998年、横浜・松坂大輔(現ソフトバンク)は、その右腕で春夏連覇の偉業を成し遂げる。童顔に子供っぽい所作、しかし150キロ超の直球と、目で追うことすら難しいスライダーのギャップが、新たな怪物像としてファンの心をつかんだ。最上級生となった97年秋から公式戦無敗で駆け抜けた怪物の足跡を、いくつかの試合とともに振り返る。
松坂大輔のすごさを、日本中が共有したのは98年のセンバツだった。剛腕がいる。そのうわさは横浜の初戦(2回戦)、対報徳学園でいきなり現実のものとして甲子園を揺るがした。
春、夏を通じて初めて、松坂は150キロを計測したのだ。
そして松坂は決勝までの5試合すべてで完投し、2回戦の報徳学園、準決勝のPL学園にそれぞれ2点ずつ奪われたが、他の3試合は完封勝利。
この時の決勝戦は関大一が相手だ。エースは久保康友(現DeNA)。関大一は69年ぶり出場ながら、この年の夏にも出場、準々決勝まで駒を進める実力校だった。
にも関わらず、久保の見た松坂は「(準決勝で)PLとやって必死に投げていたのと、明らかに違ってました。めちゃくちゃ余裕を持って投げられた」と振り返る。
久保の記憶では、終盤(八、九回は三者凡退)だけ「力を入れて146キロとか、覚えてますが、それまでは142、3キロで抑えられました」と、全国大会で決勝にまで進んだ相手ですら「1点あれば勝てるという感じ」で事実、完封勝利、横浜に73年以来の優勝をもたらした。
この時の“別格ぶり”が、久保にプロではなく社会人入りを決断させた。そして「怪物がいたから『同じジャンルでは勝てない』と自分を見つめ直せた」と、後の野球人生にプラスの作用をもたらせた。
その久保が「必死」と形容したのが直前の準決勝、PL学園との戦いだった。
この試合で3番を打った大西宏明(元オリックス、横浜)は3打数2安打と松坂を苦しめた。
第1打席は二飛。「僕の高校3年間で、常時145キロを超えるピッチャーを見たのは、松坂だけでした」と言いながら、「もし直球だけなら、何とかなるとも思った」と振り返る。
しかし第2打席。スライダーを見せられた。「無理。そう思いました」と、レベルの高さに舌を巻いた。速くて、キレる。当たる気がしなかった。
それでも名門・PL学園の主軸だ。何とか食らいつくと、打球はレフト前に落ちた。大西は六回にも中前打を放ち、続く古畑の先制2点二塁打を呼んだ。
PL学園は大人のチームだ。この大会で退任を決めていた中村順司監督も、あれこれ指示を出すことはしない。「松坂対各バッター。そういう図式でした」と大西。自身のフィーリングを最優先させて、2安打を放ったが「打ってないですよ」と苦笑する。「木製なら、折れてました。芯で捉えられなかった」というのが、その理由だ。
この試合の、古畑の二塁打を、松坂はしっかり覚えていた。
後にルールの見直しにもつながった、同年の選手権準々決勝。相手はPL学園だ。横浜は3点差を追いつき、PL学園も延長戦で2度、追いつくという死闘を演じた。延長十七回、松坂は250球を投げて完投勝利を挙げた。
この試合では、センバツ以降、全国に知られる強打者となった4番・古畑を、松坂は意識した。そして6打数無安打に抑えた。
そして5番・大西は3安打を放った。「古畑へのピッチングはネクストから見ててもものすごい集中力でした。僕には、気の緩みが出たんでしょう」と笑う。
PL学園の後の、関大一。そして古畑の後の、対大西。怪物、なのだがどこか“かわいげ”を残す。制球ミスには「ゴメン」のしぐさを捕手に送り、ヒットを許せば舌をぺろりと出す。野球小僧ぶりと、とんでもないボールとのギャップも魅力だった。
松坂に同様の感慨を抱き「ひょうひょうとした感じだった」と振り返るのは夏の決勝でノーヒットノーランを喫した京都成章の主将だった澤井芳信(大リーグ・レッドソックス上原らをマネジメントする株式会社スポーツバックス 代表取締役)だ。
もはや松坂のためにあるような雰囲気となった同年、甲子園の決勝。澤井は雰囲気に「圧倒されました」としながらも「楽しかった」と振り返る。願っても簡単にかなわない、ナンバーワンピッチャーとの対決だ。
澤井は続く神奈川国体の決勝でも、松坂と対決する。「低い、と止めたバットに、ボールが当たった」と、夏に一度対戦してもなお、その想像を超える直球の伸びにあらためて、身震いさせられた。
2年の夏の神奈川大会で敗れて以降、新チームとなってからの横浜は、この国体まで公式戦44勝0敗。主戦として君臨した松坂は、紛れもなく世代のリーダーでもある。
大西は「僕は大学(近大)に行きましたが常に、松坂と対戦したいと考えてました。(プロを引退した)今でもやりたいくらいです」という。久保は「松坂世代であったことは、確実にプラス」と話す。
今は故障で苦しんでいても「復活を信じたい僕がいる」(大西)、「歯がゆい」(澤井)とまで、対戦相手に思わせる。1998年の、怪物の足跡はそれほど、大きい。(文中敬称略)