「奇跡のバックホーム」からの“奇跡”

 延長10回裏、熊本工1死満塁、本多の右飛で3走・星子がホームを突くもタッチアウト。サヨナラを逸す。捕手、石丸
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 第97回全国高校野球選手権。100年を数える大会は東海大相模の優勝で幕を閉じた。100年に一度の名勝負。1996年夏の甲子園決勝。熊本工と対戦した松山商(愛媛)は「奇跡のバックホーム」で延長十回の大ピンチをしのぎ、全国制覇を果たした。松山商の右翼手・矢野勝嗣さん(36)=愛媛朝日テレビ勤務=と熊本工の三走・星子崇さん(36)=飲食店経営=は一昨年、決勝戦以来の再会を果たし、2人の間に新たな“奇跡”が生まれる-。高校野球史上に残る名場面の“その後”を追った。

 熊本市の繁華街に、高校野球ファンが集うバーがある。

 店内には熊本工と松山商のユニホームが並んで飾られ、客は過去の甲子園の名場面を映像で見ながら盛り上がる。1996年夏の甲子園決勝。「奇跡のバックホーム」で本塁アウトとなった熊本工の三塁走者・星子さんが経営する店だ。

 「矢野くんに会ったことが、この店をオープンするきっかけになりました」

 一昨年12月14日。2人は決勝戦以来、約17年ぶりに再会した。偶然にも共通の知人がいた。矢野さんの仕事の先輩で、熊本のテレビ局に勤める男性社員が星子さんとも知り合いだった。「星子が商売をしてるから、君が行ったら喜ぶよ」と誘われ熊本へ。星子さんが営むレストランバーが再会の場所になった。

 酒を酌み交わしながら約3時間、2人は高校時代を語り合った。もちろん、あの延長十回のプレーも。「スタートはどうだったの?」と聞くと、星子さんは「少し早いかなと思うくらい、いいスタートが切れた。全力で走ったよ」と答えた。

 その後の人生についても話した。あのプレーが重圧となり、悩んだ時期があったことも同じだった。

 星子さんは卒業後、社会人の松下電器に進んだが、すぐに持病の腰痛が悪化。2年間プレーしただけで現役を退き、熊本に帰った。

 職を転々としたあと飲食業の世界へ。失敗を重ねながら、なんとか商売を軌道に乗せた。ただ、あのタッチアップの場面は地元の人々の記憶から離れない。客から「お前のせいで負けた」と言われることも1度や2度ではなかった。

 「若い頃はあの試合に触れられるのが嫌で、野球の話はしたくなかった。でも、今は大丈夫。あのプレーがあったからこそ自分のことを覚えてくれている人がいて、こうして商売ができるから」。そんなことを話したあと、星子さんは胸に秘めていた構想を矢野さんに打ち明けた。

 「野球バーみたいな店をやろうと思うんだけど、どう思う?」

 矢野さんは「面白い。やってみれば」と背中を押した。「店ができたら、あのとき2人が着ていたユニホームを飾りたいなあ」と星子さん。新たな計画に胸躍らせながら、2人は別れた。

 再会から約半年後の昨年5月22日、星子さんの新しい店がオープンした。店の名は「たっちあっぷ」。いくつかの候補の中から「一番自分らしくて、しっくりくる」という理由で決めた。

 「周りからは『タッチアウトだろ』なんて冷やかされますが…」

 約1カ月後、矢野さんから松山商のユニホームが届いた。

 矢野さんは言う。

 「ユニホームを贈るのは正直、悩みました。本当に決勝戦で着ていたユニホームなので…。でも、あのプレーについて話すのも嫌な時期があったという彼が、私との再会をきっかけに『たっちあっぷ』という店を開いた。何かお手伝いができればと思いました」

 「奇跡のバックホーム」から19年。勝者と敗者が横に並んで、今も高校野球ファンを楽しませている。

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