星稜・山下総監督&西谷監督対談【5】
2016年、高校野球は次の100年が始まる。デイリースポーツでは評論家の山下智茂氏(70)=星稜総監督=が全国を旅し、次世代の高校球界を考える新企画をスタート。第一弾は春夏連覇など監督として自身4度の甲子園優勝を成し遂げた大阪桐蔭・西谷浩一監督(46)を直撃した。生駒山地の自然に囲まれた大阪府大東市の同校では、山での走り込みや神社の階段登りなど昔から変わらない冬場のトレーニングが繰り広げられていた。練習を初視察した山下氏が強さの秘密に迫った。(取材、構成=編集委員・船曳陽子、重松健三)
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山下監督(以下、山)「前から聞きたかったことがあったんだけど。甲子園で浦和学院(2012年センバツ準々決勝)の時に、1イニングで3度タイムをかけたことがあったよね。あの時はどういう心境だったの?」
西谷監督(以下、西)「(同点の)七回無死満塁だったんで、まず一度タイムかけたんです。2回目は守備体系の確認がしたかった。2死からは、なんかホッとしている感じがあったので、もう1回行かないとアカンと思ったんです。無死、1死の時は前進守備だったけど、2死で後ろに下がったことでホッとしている感じになっていた。無死の時と同じ気持ちでアウトを取りにいけ。これをとれば勝てると言った。投手に任せずに遊撃、三塁、全部オレのところに飛んでくると思え、外野にも言えと」
山「1イニング3度は、たぶん甲子園で初めてじゃないかなあ」
西「自分の経験でもなかったし、しようと思ったこともなかったですね」
山「でも、タイムをかける勇気がすごいね。誰もできないよ」
西「藤浪には、全球空振りをとるつもりでやれと言いました。まだ森も(新2年生で)1年生のようなものでしたからね」
-森捕手は最初から活躍すると思っていた?
「センバツが終わってから主導権が完全に森に行きましたね。センバツ前までは藤浪にボロクソに言われてたんですよ。お前、昨日言うたやろ。(メモに)書いておけって。センバツは必死だったけど、センバツが終わったら変わった。あいつは昭和のガキ大将です。2年の時にセンバツで、投手がみんな調子が悪くなったら(自分が)3イニングくらいなら投げられますって。中学まで投手だったんですけど、急にその日から打撃投手に今まで以上に行くようになった。投手がケガして投げられないと、翌日にブルペンにまで入る。アホやなお前って(笑)。キャッチボールの時にミットじゃなく普通のグラブ持ってましたから(笑)」
山「そういう子がいないと、日本一になれないよね。雪国では考えられないよ」
西「山陰地方の子とかは、関西の子と違いますね。例えば(差し入れの)まんじゅうが12個しかない。寮についてみんなで分けろと言うと、山陰の子は取れない。でも森は、食べてからポケットにポンポンと入れて行く。出せというと、すいませんって(笑)。地域性がありますよ。そう考えたら大阪の子はずるい。でも、そういうやつは、試合で困った時にはパーンとセーフティー(バント)をしたり、ノーサインで走ったりする」
山「敦賀気比が強くなっているのは、その辺りだね。関西、東海の血が入ってきた。僕もそういう血を入れれば勝てたのに(笑)。せめていろいろな血を入れようと能登半島、金沢、加賀って(9人を)3、3、3としたらベスト4と成功した。能登の子は性格が強いから投手とか三塁、金沢は顔色を見るのがうまいから捕手と遊撃とか。松井のところ(根上町)はおっとりしているから一塁、右翼とか。そうして編成しましたよ。勝てないから、どうやったら勝てるかを考える。北陸とか雪国はなぜプロ野球選手が出ないのか?性格が違うと思って、血液型を調べたり、統計学で好きな数字を出させたりしました。好きな数字で1番をとるやつは勇気ある、5番は偏屈で僕とぶつかる。この5番の子をどう操縦するか、5番が活躍したら勝てるとか、いろいろ考えましたよ」
西「すごいですね」
山「(夏の大会で)負けた日は、実は楽しみで。うちに帰ったら新チームで新しいメンバーをどう使うか、寝ないで考える。グラウンドで朝を迎えるんですよ。生徒に朝集合と言っておく。8時半にくるチームはダメですね。6時頃に来たらヘボでも勝ちます。そういうチームは甲子園が迎えに来る」
西「迎えに来るってのがすごいですね。でもそうなんですね。グラウンドで朝を迎えるのはすごい。負けて悔しくて、眠れないことはありますけど」
山「社会人野球の決勝戦を、選手と見に行ったりするんでしょう?」
西「決勝戦というのは何でも勉強になりますね。日本一を意識させたいんです。日本一になりたいなら日本一になる試合を勉強に行こうと思います。花園(高校ラグビー)もここから10分くらいで車で行るので、都合が合えば全員連れて行ったりします」=続く