星稜・山下総監督&西谷監督対談【3】
2016年、高校野球は次の100年が始まる。デイリースポーツでは評論家の山下智茂氏(70)=星稜総監督=が全国を旅し、次世代の高校球界を考える新企画をスタート。第一弾は春夏連覇など監督として自身4度の甲子園優勝を成し遂げた大阪桐蔭・西谷浩一監督(46)を直撃した。生駒山地の自然に囲まれた大阪府大東市の同校では、山での走り込みや神社の階段登りなど昔から変わらない冬場のトレーニングが繰り広げられていた。練習を初視察した山下氏が強さの秘密に迫った。(取材、構成=編集委員・船曳陽子、重松健三)
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-監督自身は報徳学園時代に甲子園に出ていない。
西谷監督(以下、西)「捕手でしたが、3年間で2度不祥事が起こったので、きちんと大会に出たのは2年秋の近畿大会だけ。散々な3年間でした。3年間で監督が4人変わりましたから。1カ月でやめられた方もいらっしゃいました」
-大学へも浪人で。
西「スポーツ推薦がなくて浪人しました。練習会に参加して、結構いけたかなと思っていたらマネジャーから赤本を渡された。僕はセレクションだと思っていたら、うちはスポーツ推薦はないよと、桑田と清原が来ても通らないと言われたんです(笑)。受けたら全部落ちました。教員になりたいと思っていたので、入学後は夜間で教職をとりました」
-大学では故障?
西「ケガもしましたけど、力及ばすです」
-1年間猛勉強した。
西「予備校に通ってですが、勉強をしたことがそれまでなかったですからね」
山下監督(以下、山)「今年はU-18日本代表の監督をしてもらったけど、秋の大会が(出遅れないかと)心配でね」
西「今回は大阪だったんでコーチが来て話したりしてました。2008年に親善試合でブラジル行かせてもらった時には、電話代が14万円にもなって嫁さんにえらい怒られました。地球の裏側からグラウンドに電話して、投手に今から真っすぐとカーブと10球放って何球ストライクか言えとか、1時間半くらいしゃべってた。夜中3、4時に起きて。高くても4、5万くらいだと思ったら…」
山「監督ってみんなそう。僕も生徒6人を16年間自宅に預かったけど、お金とか飯のことなんて考えない。毎週土、日曜日はカレーパーティー、焼き肉パーティーして食え食えって。引退してからお金のことがわかった。現役の時はいかに選手をうまくするかしか頭にないもの」
西「僕も結婚するまで寮にいたので、とにかく何か食わさないとあかんと全部給料を野球部に使っていました。それが惜しいとか考えないんですね」
-1学年20人がちょうどいい?
西「今は、みんなを練習させてやりたいというのがあります。大学にも入れてやりたいとかいろいろ考えます。以前は全寮じゃなかったんですが、この数年で全寮にして1学年20人を目標にやってます。計60人だったら1年生から練習できますし。高校野球はたった2年半しかない。僕らの頃は、最初の1年間は野球をやってなかったんで。それはそれで違う練習はできたけど、野球だけのことを考えたらもったいなかったと考えたことはあります」
-上下関係があまり厳しくなさそう。
西「フレンドリーな雰囲気をつくろうとは考えたことはないんです。森が藤浪にため口みたいになるんでそう伝わっているけど、むしろ僕はそれがすごい嫌で、きっちり礼儀はしたいんです」
-寮の部屋割りは同級生同士とか。
「もともとはPLに勝つためにそうしたんです。うちもPLと同じように3、2、1年と(縦割りの)部屋割りをやっていたけど、同じ事をやっていても勝てない。とにかく1年生に雑用をやめさせて練習する時間を与えてほしいとコーチの時に監督に言ったんです。うわさではPLは先輩の用事ばかりで1年間練習をしていない。その間にうちが少しでも力を上げられたら、勝てるかもしれない。同じことをしていたら差はずっと一緒なので」
-自分が洗濯をしてやると言ったとか。
西「3年生は、自分らは(雑用を)やってきたと言っていて、あいつらの気持ちもわかる。でも、例えば洗濯がそんなに負担なら、オレが洗濯したる。部屋に全部たたんで届けたると言ったことがあります。オレは勝ちたいのと洗濯とやったら勝ちたい。だから洗濯したると。その代わり僕は1年生について練習しました。今PLは先輩の洗濯してるぞ、練習してないぞとPLのことを言いまくっていました」
山「僕も甲子園塾では『甲子園行くぞ、甲子園行くぞ』ばかり言ってるよ(笑)。そういう目標設定って大事ですね」
西「僕が星稜さんに行かせてもらった時に、山下先生が花を植えておられました。花を育てるのと選手を育てるのは一緒だと言われて。恥ずかしいんですが、帰ってすぐ(ホームセンターの)コーナンに行っていろんな花の種を買ったんです。花壇(プランター)と一番いい土と肥料も買って、バンバン水も肥料もやったんです。でも、全然咲かない。花も咲かせられないのかと自分でも情けなくなりました。落ち込みましたね。僕は29歳くらいでとにかくガンガンやったらいいと思っていた。3年後くらい、僕も忘れた頃に、花壇は投手が氷を入れてアイシングをする容器になっていました。あっ、これ花咲かそうとしたやつやって」
(一同爆笑)
西「選手を育てるのと同じくらい根気がいると言われて、でも全然ダメだった」
山「きっかけは、四国の新野高校(徳島)に農業科があって招待されて行った時にランを育てていたことです。ランは難しいから普通の花でやってみたけどなかなか咲かない。これは土が大事だと思ったんです。それで僕は(座右の銘を)『花よりも花を咲かせる土になれ』と」
西「写真を撮って『おかげさまで花を咲かせました』と送りたかったんですが、芽も出ず、ずっと腐っとったんです(笑)」
山「それでも、素晴らしいチームカラーをつくっていますよ。私は『一球同心』という言葉の解釈を間違えてました。厳しい練習でも誰も我が出ない。試合での1球に対してみんなで一つになる『一球同心』でじゃなく、学校生活とか寮生活とか全部含めての絆が『一球同心』と感じました」=続く