長田・大堺 退部翻意し裏方として尽力
「選抜高校野球・1回戦、海星3-2長田」(24日、甲子園球場)
1年冬。長田(兵庫)の大堺利紀コーチ兼スコアラー(3年)は1週間、悩んだ末に永井監督のもとを訪れた。「野球部、やめます」。体調に異変を感じ、検査を受けた。原因は分からなかったが、練習についていくのは無理だと悟っていた。
「コーチやスコアラーで残らないか」。野球への取り組みを評価していた監督からの返事は、意外なもの。大堺は、また悩んだ。1週間後に出した結論は「やります」だった。
1964年5月3日(後楽園)。阪神の先発左腕・太田紘一は巨人・王に2打席連続本塁打を浴びた。プロ野球史上初となる4打席連続本塁打の、最初の2発だ。
「その話題は、あまり触れられたくないみたいですよ。でも長田の記事はニヤニヤしながら、黙ってよく読んでますね」。大堺は祖父の“大記録”に、苦笑しながらも、どこか誇らしげだ。「家に行くと王さんやバッキーさんとの写真があるんです」。物心がついた時から、常に野球と触れ合う生活が、「野球が好き」という今の礎になっている。
コーチとして、園田に次ぐ投手育成に力を入れる。スコアラーとしては、園田が「的確なデータをくれる」と全幅の信頼を置く。
ぎっしり埋まったアルプス最前列で、応援団の指揮を執った。敗戦を見届け「守備が課題」とコーチの顔をのぞかせたが、「こんないっぱいの応援、うれしかったです」と、夢のような時間を忘れることはない。
開会式では「長田」のプラカードを持って行進、甲子園の土を踏んだ。大役指名は、チーム全員からの感謝の気持ちだった。