それは音楽界の未来を見据えた革命だった──山下達郎がキャリア初となる配信ライブを実施
7月30日、山下達郎が45年のキャリア初となる配信ライブ『TATSURO YAMASHITA SUPER STREAMING』をおこなった。
山下達郎といえば、2012年に劇場で限定公開され、記録的な大ヒットとなった映像作品『山下達郎シアター・ライヴ PERFORMANCE 1984-2012』を除き、生のライブ以外で動く姿を見ることが出来ないアーティストでもある。
これまでDVDなどの映像作品が発売されたことはなく、YouTubeなどにも、「動く山下達郎」が映る動画はほぼない。さらに、生のライブもチケットはつねに争奪戦。ファンクラブ会員でも獲得が厳しいうえ、現在ファンクラブの募集は休止中だ。
もはや動いている姿を見ること自体貴重な山下達郎が、音楽配信サイト「MUSIC/SLASH」のこけら落としとしてライブ映像を配信する──これはもう、今や世界中に広がるファンのみならず、すべての音楽ファンにとってもこの夏最大の驚きかつ喜びだ。
今回配信されたのは、いわゆるリアルタイムでおこなわれるライブではなく、2018年3月17日にキャパ50人ほどの京都のライブハウス「拾得(じっとく)」でおこなわれたアコースティック・ライブと、台風のなかでおこなわれた2017年開催の『氣志團万博』での約40分のパフォーマンス、そして1986年のライブという秘蔵映像の数々。
アーカイブや見逃し配信はなく、チケットを買い、リアルタイムで視聴できた人だけが一度だけの体験を共有できるという、まさにリアルライブと同じシステム。
また配信前には、ザ・ファイヴ・キーズ、ザ・ドリフターズ、ザ・フラミンゴス、ザ・キャデラックス、そして山下達郎自身の名曲『I LOVE YOU…PartI』といったドゥワップの名曲が次々と流れ、時折、ストリーミング中の注意を促すうぐいす嬢のナレーションが入り、「拾得」のライブ映像では開演を知らせるブザー音も鳴った。配信前の期待と緊張が渦巻くあの感覚は、まさしくライブ会場で開演を待つ時の感覚だった。
そんな今回の配信ライブの真髄は、配信がスタートした瞬間、全視聴者が知ることになる。
■ 京都「拾得」の木造空間をも感じさせる音質
「めちゃくちゃ音がいいんだけど!」。SNSで誰もが一斉にそうつぶやいた。ライブ当日の「拾得」映像が映し出され、達郎氏のア・カペラ・コーラスに観客の拍手の音が重なったのを合図に『ターナーの汽罐車』の演奏が始まった途端、オンラインとは思えないほどの臨場感が画面から溢れ出した。
筆者はノートPC&エアポッズで視聴していたが、それでも耳に届く音は驚くほどクリアで迫力満点。なのに、酒蔵を改造した「拾得」の木造空間のなかで実際に聴いているような柔らかさもある。
映像も素晴らしく鮮明で、それはまさに画面を通して体感する「ライブ」だった。音に対して凄まじいこだわりを持つ山下達郎。今回の配信に彼が納得した理由はこれだったのか! 果たして、かつてこんなにいい音と映像で楽しめた配信ライブがあっただろうか。
伊藤広規のベースと難波弘之のキーボードと山下のアコギが『希望という名の光』を奏で始めた。3.11の後、被災者の希望として多くの人に聴かれることとなった曲だが、あまりにも今にフィットして響くからこそ、今日の配信曲として選ばれたのだろう。
ちなみに、ブルース&フォークの殿堂でもある「拾得」は、かつて達郎氏がシュガーベイブとして出演した際、酔客に「帰れ!」とヤジを飛ばされた因縁の場所でもある。リズムループとアコースティック・サウンドによる『WHAT’S GOING ON』のカバーが、40余年の時間を温かく埋めていく。
■ネットを介してのヴァーチャルなライブの新たな可能性
「日本の音楽を変えた人ですからね」・・・2017年開催の『氣志團万博』で流された綾小路翔のコメント映像に答えるように最初に披露されたのは、近藤真彦に提供した『ハイティーン・ブギ』だった。「山下達郎です。夜露死苦!」。なんて音楽愛に満ちたお茶目な人なんだろうか。
そして台風のなかステージを見つめる観客のため、「バラードをやめました。最後まで突っ走ります!」とセットリストを変更したことを宣言。最高にエッジィでファンクロック『BOMBER』から『硝子の少年』とアッパーチューンを続け、『アトムの子』では、なんと竹内まりやがいつの間にかコーラスに参加している様子が映される。
曲の途中、「アンパンマン」のフレーズを両手をグーにしたアンパンマン風ポーズで歌う達郎氏。チャーミング過ぎる。『恋のブギ・ウギ・トレイン』では、台風の雨粒が勢いよく降りつける『氣志團万博』名物のキャットステージに飛び出し、圧倒的なカッティング・ギターを披露。SNSでは、「さすがカッティングの鬼!」の声が飛び交う。
最後に披露されたのは、サビ部分の歌詞が、この日の観客のためのように響いた『さよなら夏の日』。ハンドマイクで語りかけるように披露されたその美し過ぎるエンディングに、画面の前で思わず拍手しかけた瞬間、アンコール的に1986年のライブ映像が流れ出した。
長い黒髪と赤いシャツ、デニム姿の30代になったばかりの達郎氏のエモーショナルでソウルフルな歌声とパフォーマンスによる『SO MUCH IN LOVE』と『プラスティック・ラブ』(竹内まりや曲)だ。
もしこれが当時を知るファンと、初めて見たファンが互いにネットを介して感動を伝え合うところまで計算された配信だったのだとしたら・・・これもまた、リアルとは異なる「ネットを介してのヴァーチャルなライブ」の新たな可能性と言えるのではないか。
■達郎氏も「別の配信の可能性」を公言
20時から始まり、配信は事前に予告されていた70分を遥かに超える約90分の大盤振る舞いとなった。
エンドロールでは、『THAT’S MY DESIRE』をバックに「拾得」、『氣志團万博』でのバックステージの映像とスタッフのクレジットが流れる。映像を通して視聴者は、「拾得」のステージの後ろに飾られていた楽屋のれんが、『氣志團万博』で贈られたものだったと気づく。
最良の音と映像と貴重過ぎるパフォーマンスとそこに込められたメッセージ。その余韻と興奮は配信が終わった後も長く収まらなかった。大半の視聴者がそうだったのだろう。配信が始まった瞬間からツイッターのトレンドに輝いた「#山下達郎」は、配信終了後も日付が変わる頃までずっとその状態だった。
今回配信された映像と音源は、達郎氏自身がデータを確認し、「MUSIC/SLASH」の音質に最適なミックスをおこなったという特別なもの。「MUSIC/SLASH」はそれを業界史上最高レベルの音質(AACーLC 384kbps)で提供。おかげで1986年の映像が流れた瞬間、「なんで34年前なのにこんなに音がいいんだ?!」という嬉しい悲鳴がSNS上に飛び交った。
また、音質以外で今回達郎氏が重視したのが配信のセキュリティーだ。実際、配信された動画はコピーなどの制限がかけられていたそうだが、コロナ禍のなかで窮地に立たされているエンターテインメント界。その苦肉の策のひとつとして一気に増えた配信ライブのセキュリティ問題が少しずつクリアになっていけば、「配信ライブ」という可能性は今後急速に広がるはずだ。
達郎氏も自身のラジオ番組を通して、「近いうちに別の配信の可能性や生のライブにも挑戦したい」と公言。今回「MUSIC/SLASH」が構築したセキュリティやハイクオリティな音質での配信を可能にしたシステムも含め、オンラインで映像を解禁した山下達郎の初の試みは間違いなく、エンタメ界の未来を見据えた革命となるだろう。
取材・文/早川加奈子
(Lmaga.jp)