崩御1300年の節目に奈良で企画展、平城京を作った奈良時代の女帝とは?
「710(なんと)大きな平城京」の語呂合わせで、平城京遷都(へいじょうきょうせんと)の年号を、学生のときに覚えた記憶はあるものの、藤原京から平城京に遷都した天皇が誰だったか覚えておられるだろうか?
この人物がいなければ、奈良市内が修学旅行のメッカになることは、なかったかもしれない。
答えは、奈良時代の女帝・元明天皇(げんめいてんのう/691~721年)だ。その女帝をクローズアップした企画展が、「平城宮跡歴史公園」朱雀門ひろばの「平城宮いざない館」(奈良県奈良市)で、12月6日までおこなわれている。
同展では、県内在住のイラストレーター・上村恭子(うえむらやすこ)さんが描き下ろしたイラストとともに、絵物語のように元明天皇の生涯や偉業を知ることができる。会場である平城宮跡をはじめとしたゆかりの地を写真で紹介し、県内各地を巡って楽しめる展示構成が特徴だ。
息子の文武天皇(もんむてんのう)が25歳の若さで崩御した後に、東大寺の大仏造立で知られる孫の聖武天皇(文武天皇の子)に皇位継承させるため即位した元明天皇。次に即位した娘の元正天皇(げんしょうてんのう)とセットで中継ぎの天皇というイメージがあるかもしれない。
しかし、実は平城京遷都だけでなく、和同開珎(わどうかいちん/わどうかいほう)の鋳造、『古事記』『風土記』を作らせるなど、日本史の授業で習ったおなじみの事業を執政期間中に成し遂げた、偉大な人物でもある。
同展を「平城宮いざない館」とともに企画した生駒あさみさんは、古代の女帝に関する著書を出版したり、講座やツアーをおこなったりと、ライフワークとして古代の女性たちにまつわることを発信。
なかでも元明・元正の2人の女帝に心惹かれる理由について「(元明天皇は)即位する予定がなかったのに、(夫と息子が亡くなり)どうしようもなくなった状況だった。自分しかいない、その先に繋げようと、今までの事業も引き継いで天皇として、ちゃんと決断と判断を下していたと思う。この人から続く奈良朝廷がなかったら今の奈良はないから」と話す。
「10年前に平城宮跡で開催された『平城遷都1300年祭』は奈良県全体で盛り上がりました。元明天皇は来年がちょうど崩御1300年、更に今年は平城遷都1310年なので、節目の年に、(彼女が)成し遂げたことを多くの方に知ってもらえたら」と思いを語る。
『続日本紀』には、元明天皇の退位の詔(みことのり)で、「さまざまなかかわりを捨て、履物(はきもの)を脱ぎ捨てるように俗を離れたい」と記されている。「『沓(くつ)を脱ぎ捨て』とか、まるで百恵ちゃん! マイクを置いて引退みたいな」と生駒さん。9年間の在位中に相当な苦労があったことが偲ばれ、心情がひしひしと伝わってくるような詔だ。
監修を担当した杉山洋教授(龍谷大学、元・奈良文化財研究所研究員)は、「女帝としては、持統天皇や孝謙天皇(こうけんてんのう/重祚して称徳天皇)に比べると影が薄い。遷都は710年だが、715年頃に平城京の中央部が整った。復元された大極殿(だいごくでん)もこの頃に完成したので、(本展を)ご覧になったあと実際に見ていただけたら」と語る。
同展は、新型コロナウイルスへの配慮から、奈良へ来られない人に向けてオンライン講座を用意(11月1日、11月28日)。すでに終了した講座についても、後から申し込めば動画を送ってもらうことができる。観覧無料、詳しくは公式サイトにて。
取材・写真/いずみゆか
(Lmaga.jp)