神戸にある「コンバースの聖地」名物店主は伝説づくしの81歳「わしは履いたことないけどな」

神戸・元町で「コンバースの聖地」として知られるスニーカーショップ「柿本商店」(神戸市元町通り)。1968年に店を起ち上げた店主の周春陽さんは、コンバースの歴史の半世紀をともに生きてきた81歳の名物店主。だが、実は「コンバースを一度も履いたことがない」という意外な事実があったりと、話を訊けばさまざまなエピソードが飛び出してきた。

写真/横江実咲

取材・文/Lmaga.jp編集部

■4万7000足のブーツが始まり「わしが買うたるから」「柿本商店」とは、コンバースを専門に扱う老舗スニーカー店。店内は壁一面靴に覆われており、聞いてみるとその数は約5000足。全国からマニアが集い、老若男女から愛される同店は、今や神戸の名所のひとつになっている。

──以前は「モトコー」と言われる超レトロな神戸・元町の高架下で営業されてましたが、2022年5月に「元町商店街」に移転されたんだとか。前の店舗に比べるとお客さんも訪れやすくなったのでは?

そうそう、こっち(元町商店街)の方が人通りが多いやろ。それに、前は高架下だったから柱が多かった分、今回は見やすいようになったかな。急な引っ越しだったもんだから、店はまだ半分しかできてないけどね。

──確かに。天井とともに陳列棚の背も高くなりましたね、でも「柿本商店」の名物でもある陳列棚を埋め尽くすような並べ方は変わらずですね!

長年の経験ですわ、30年、40年の。

──周さんは同店の発起人であり、ずっと店主として営まれてきましたね。今さら聞くのもお恥ずかしいのですが、「柿本商店」誕生のきっかけを教えてください。

若い頃、船の仕事をしていたときに出合った「ブーツ」がきっかけだった。貿易会社で働く友だちが、アメリカに輸出する商品の納期が遅れたんよ。でもその時すでに手形を切ってたから「助けてくれ」ということで、「なんぼあんねん?」「4万7000足ある」「ほんなら、わしが買うたるから」と全部買い取った。27歳、28歳のときかな。

──行動力といいますか、すでに決断力がおありだったんですね。

でも、まだそのときは店を持っていなかったから、最初は田舎の納屋に在庫を置きながら、車で港に行って売る、そういうビジネスをしていた。それで29歳のとき、当時バラック(空地や災害後の焼け跡などに建設される仮設の建築物)だった店舗を買って、嫁さんの名前が「柿本」って言うんで、柿本商店にしたんよ。自分の名前より良いやろ!と思ってな。

──そこから商店はすぐに軌道に乗ったんですか?

そのバラックの戸板を外してブーツを1足ぶら下げとったんよ。ほんなら背中叩く外国人がおって、ロシア語で「スコリカ、スコリカ」言いながら「How much?」って聞いてきた。その夕方には税関通して2500足のブーツを納めたね。

──そんな口約束でビジネスが成立・・・。すでにパンチの効いたエピソードが飛んできました。

そうやって、そのロシア人がまた次の航海に来たら注文してくれるようになり、ほかの業者も「おたくブーツ売ってるそうやけど?」って電話をかけてくるようになったり。そして、ちょうどそのときが宝塚で『ベルサイユの薔薇』(1974年初演)が始まったときやった。

──もしかして、あの衣装を手がけられたのですか?

そうそう、ストレッチで伸びて、編み上げでチャックついてるやつ。サイズ展開もあるから、大根足でもどんな足でも合うねん。わし、舞台は見てないけど(笑)。

■きっかけは米コンバースの倒産「深く、広く」「ブーツ」の販売をきっかけにスタートした「柿本商店」。でもやはり、気になるのはいかにして「コンバースの聖地」となったのか、だ。

──ではブーツから「コンバース」にシフトしたのはいつ頃だったんですか?

初めはコンバースだけではなく、いろんな種類をやってた、アディダスもプーマもプロケッズも。それをやっとるうちに、種類は多いけど奥行きがないことに気付いて。だから1個に絞って、深く広くって方向に変えた。

──なるほど、ここが始まりだったんですね。

そうやね、あのときはUSAの製品も扱っていたんだけど、平行輸入をしていた友だちに「(米コンバースが)潰れるで~!」と1997年に言われて。それに対してわしが「力入れて、向こうの残ったやつ全部引き上げる」言うたんよ。それで2万3000足、みんな買い取った。

──ブーツに続き、その勇気のある決断には脱帽です。

そうでもないよ(笑)。ほんでその買い取った分を3年寝かしとったんよ、そしたら2000年に新聞が米コンバースの倒産を発表した。その途端、東京、名古屋の同業者が「おっちゃんそれ分けて~!」言うてきたから、「やるやる~」って全国各地の業者に売ったね。

──その業者の方は周さんから買い取ったコンバースをいくらで販売されるんですか?

うちは輸入業者の手数料分2000円分を足して売ってたけど、うちが7800円で売ったものを業者は1万5800円にして売ったんちゃうか、特にキャンバスのモデルは人気だったし、それでも売れる時代やった。

■アイテム選定のコツは?「長年の経験があるから」そして話を訊いていると、店の奥から何やら資料を取り出してくれた周さん。コンバースの創業者マークイス・ミルズ・コンバースの大きな写真を見せてくれた。

──わぁ、貴重な資料をありがとうございます。

創立したんはこの人や、1908年にな。この会社、最初は長靴だけ作っとったんよ、やけどあんまり売れなくて、赤字になっとった。それで運動靴の部門に変えるにあたって、有名なバスケット選手のチャック・テイラーの名前を借りたわけ、そしたらよう売れた。これが歴史の始まり。

※チャックテイラー:1940年代~1970年代頃に作られたモデル「オールスター」の総称

──「柿本商店」はブーツ、「コンバース」は長靴が始まりだったんですね。

そういうことやね。ちなみに「コンバース」は2017年に100周年を迎えて、わしは50年以上この仕事をやってるという。

──ということは、周さんは「コンバース」の半世紀をともに生きてらっしゃる。

そうやね、かつては韓国、台湾、フィリピン、インドネシア、ビルマ、タイ、インドへの納品を港に積んでって、博多~横浜を往復して、月に20日は出張に出かけていた。その間は嫁さんにお店を任せて、わしと若い衆2人で東西走り回ってたね。

──今は店頭にずっと立たれていると思いますが、毎日こちらに?

うん、定休日以外はね。まあ、ずっとここに座っているだけだけど、もう81歳だからね(笑)。仕事も毎日やっとったら習慣になってくるから。

──ずっと気になっていたことがあって。これだけの品数を揃えるのは相当難しいと思うのですが、どのように仕入れしてはるんですか?

東京の本社がみんな直接来てくれる、袋にサンプルを入れて。そこでもう1年分の注文するようにしてるの、ややこしいからね(笑)。

──1年分を!? 商品選定のコツとかがあれば聞きたいです。

商品はその場ですべて即決やね、長年の経験があるから。これは売れる、これはあかんみたいに選んでいく。

──その周さんの勘や直感から「柿本商店」が出来上がっていったんですね。実は父親も若いときからここで靴を買っていて、今こうして私もここに居て(記者は25歳、ちなみに父親は55歳)。

うんうん、「孫連れてきたで!」いう人も多いよ。客はまあまあついてるからね、こっちから言わんでもお客さんの方が流動してくれる。まあ、あと4~5年か、生きとううちは頑張るよ!

──最後に、周さんが考えるコンバースの魅力はなんですか?

魅力か。言うても、わしは履いたことないけどな~(笑)!

「柿本商店」を一代で築き上げ、各地からファンがこぞって訪れる人気店へとその存在を確立させた周さん。生粋の商売人であり、自身が全うする仕事について話す周さんは、達観していて日本の「仕事人魂」が溢れる人物であった。

そして、コンバースの聖地に足を運んだ際は、ぜひ周さんにコンバースについて尋ねてみてほしい。彼が知らないことは、おそらく無いだろう。場所は「元町商店街」(神戸市元町通)、営業時間は朝11時~17時半(休日は~18時)。定休日は木曜日のみだが、月曜日も臨時休業をすることがある。

(Lmaga.jp)

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