広井王子「今しか咲かない花を」20歳までの歌劇団を作ったワケ

活動期限の20歳までに花を咲かせるべく奮闘する少女たちがいる。少女歌劇団「ミモザーヌ」だ。実はこのグループ、関西きってのエンタメリーダー「吉本興業」と、2000年代初期にゲーム『サクラ大戦』で脚光を浴びた総合プロデューサー・広井王子が手がけるグループで、2023年で結成5年目を迎える。

まだまだフレッシュな集団だが、メンバーは近頃、舞台に映像、またグラビアとジワジワとその勢いを伸ばしており、今回はそんな「ミモザーヌ」の発起人である広井にインタビュー。広井の抱く野望なども伺いつつ、「そもそもなんで20歳までなの?」 と、大きな疑問も投げかけてみた。

取材・文/Lmaga.jp 写真/Ayami

■ 「『一緒に仕事しないか?』と腕を掴まれました」──広井さんは長きにわたって総合プロデューサーという立場にいながらも、人をプロデュースするのは初めて。改めて、どういった経緯から少女歌劇団に携わることに?

大阪は嫌いだったので、立ち入ったことがなかったの(笑)。でも、10年ほど前に上方落語を勉強しようと思ったことがあって。落語はもともと好きだったのですが、上方落語は全然手をつけたことがなかったんです。でも(桂)枝雀さん見たときに「なんだこれ」と衝撃を受けてね。

それで友だちに「僕、上方落語を本格的に勉強します」って言ったら、「じゃあ良い人紹介してあげるよ」と、大崎さん(吉本興業の代表取締役会長)が来ちゃったんですよ。ラスボスじゃないですか。すると大崎さんが僕のことを気に入ってくれて、「一緒に仕事しないか?」と腕を掴まれました。

──なるほど。でも実際のところ、ゲームの『サクラ大戦』(自らがプロデューサーとなり少女歌劇団を作りあげていく内容)はあくまでもゲームのなかの話、実際の少女たちで少女歌劇団を手がけるというのは、相当苦労されたのでは?

当時少女歌劇団を調べていた資料はあったんですが、「どうやっても現実でやるのは難しい」と気付いて。それで「やっぱり無理なんじゃないですか?」と大崎さんに話をしたら、「おもしろい、やろう」とメールが来た(笑)。

僕は最初「無理だ」と言ったけども、後ろでバックアップしてくれる人がいらっしゃるならば、やれるかもしれないし、(世の中に)無いんだったらやってみようと思ったね。

■ 「20代を超えたらお酒飲むし、遊びを覚える」──「石の上にも3年」という言葉がありますが、ミモザーヌも本格始動してそろそろ3年。思い描いていた形にはなってきていますか?

もともと5年近くかかるっていう話はしていました。当時は体制も整ってないし、教える先生たちも気が入らないし、ゼロからやるってそういうことですよね。誰も正体がわからないし、それが1回で終わるかもしれない。(当時集めた)先生たちも「イベントみたいなもんでしょ?」って気分だったと思う。

実際にオーディションでメンバーを集めてみるも、そううまくはいかない。天才がいるわけでもないし、逆に天才がいてもらっても困るし、その子だけのショーになっちゃうから。全体に底上げするとなると、それにはとても時間かかったね。

──でも今では定期公演も年に2回、歌劇団としては機能しているし、固定ファンも付き始めていますよね。

最近はやっとメンバーのスイッチが入ってきたかな。本人のやる気がカチッと入った瞬間が、やってるうちに分かるようになってきた。「あ、入った!入ったよね、絶対!」って。「将来こうなるんだ」と、ようやく見えてきた彼女たちにとっては、どんな苦労もおもしろいんです。今、すごく楽しいんだと思う。

──苦労の部分でいうと、少女たちがクランプしながら歌うとか、走りながら歌うとか、永遠に体幹トレーニングをし続けるとか、過酷な噂はよく聞きます(笑)

多分衝撃だったと思う(笑)。でも経験していくうちに、舞台の怖さも自分の至らなさも「これは練習を積み重ねるしかない」ってわかっていくんですよね。

──基礎から叩き上げ、10代のうちに舞台人としての根幹部分を作る、ということですね。

これね、10代だからできるんですよ。20代を超えたらできないから。なぜかというとお酒飲むし、遊びを覚えるから、夜に台本を覚えるとかできなくなっちゃう。それで、だいたい「疲れてるから」とか、言い訳して飲んじゃうの(笑)。その時間本当はもっと勉強しないといけないことがたくさんあるのに、できなくなってくる。

■ 「『自分の花』は17歳を超えると消える」──つい先日ミモザーヌ初の卒団生(きくたまこと)が出た通り、本当に20歳になったら卒団しなきゃだめなんですね。

卒団しても続けてくれるといいなと思っていて、将来的には帰って来られる場所にしようと企んでる。悩んだら帰ってこい!ここで整えてあげるからって。日本にはそういうアカデミーみたいなのがないからね。

ミモザーヌはある種の培養基なので、卒団してからいろんな演出家やプロデューサーの手に渡ったときに、また違う光を磨いてもらえるよう、しっかりとした下地づくりをして、みなさんにお渡ししたいと思ってるんですよ。

──ミモザーヌを作りあげた目的は「下地づくり」、ほかにはなにかありますか?

そうですね、それと世阿弥(室町時代の能役者)が言った「自分の花」。この時代にしか輝かない花があるんだって。そしてそこには、17歳を超えると消えるって書いてあった(笑)。

──ちょっとチクリと刺された気がします(笑)

でもそっから本物の花になるんだって。確かに何も教えてないのに、フッと立っただけで光る子がいるの。それはまさに自分の花で、年相応のその瞬間しかない・・・言い方を変えると神聖っていうのかな。その「尊さ」みたいなものが、ミモザーヌのおもしろさなのかもしれない。

──なるほど、開花の瞬間を楽しめるのがここ、と。

大輪の花になるのは将来。もし「そのミモザーヌを子どもの頃から見てたのよ!」っていう人が出てくれば、それは歌舞伎と一緒だね。歌舞伎も名前が変わっていくじゃない、その都度その都度楽しんでいく。そういう楽しみと同じような楽しみがミモザーヌでも味わえるかもしれない。そうなればいいなと思っています。

■ 「劇団四季は改革者だと思う」──最後に、広井さんが今後目指していくところを教えてくださいますか?

そうですね。僕も来年70歳ですから、次に僕の役割をやるのは誰だ? というのを見つけ始めなきゃいけない。今後20年、30年、もしかしたら宝塚みたいに100年続くかもしれない。するとその度に新しい人が入って、継承して・・・という車輪を作らなきゃいけない。今はその車輪づくりをしているところ。

──広井さんご自身のなかには「ここまではやり遂げて、次に渡したい」というゴールみたいなところはあるんですか?

全然見えてない、どこへいくんだろうって。だからワクワクしてます。誰もやったことがないので、目標点がわからないんです。「一体これどうなるんだ」と思ってますよ。

もしかしたら卒団した子たちが多くなれば、その子たちだけでミュージカルをやれるだろうし、海外から買うことも視野に入れるかもしれない。劇団四季も最初は『キャッツ』をすべて借金で買いましたからね。

──今では各地に劇場を構えるほどになりましたが、手売りでチケットを売っていた時代もありましたよね。

そうそう、団員が手売りしてたね(笑)。でもあのとき「チケットぴあ」がコンピュータープログラムを開発してなかったら、10万枚のチケットは売れないし、あのロングランはできない。

だからそういう意味で劇団四季は改革者だと思う。システムはできたけど、やるものが無いっていう状況もあるし、やるものがあるけど、システムが無いっていうのもあるし、きっとそこがピタッと合う時期がある。あのときはドンピシャで時代が合った。

──それが、これからはスマホ一択になってくるんでしょうね。

ミモザーヌ情報は常にスマホに来て、パチンとボタン一発で決済されて、チケットが来て。それが専用劇場ならば、入ってくるなり「広井さんいらっしゃいませ」って向こうが言ってくれて。

もうエンタメの人たちの知恵を全部集めて、お客さんが「なんて楽しいんだ!」っていう劇場を作ってみたいよね。入り口には屋台が入ってて、たこ焼きも売ってて、なかで食べられてさ。「どうぞなかでお食べください」って。そういう小屋作ってみたいね。それが最後の夢かもしれない。

──ぜひ作っていただきたいです。1時間前に行っても手持ち無沙汰にならない劇場。

そうそう、劇場のなかにいるのが楽しいみたいな。1時間前から手品のピエロがいたりとか、子供たちも楽しくてしょうがない。そんなことがやれる劇場が作りたい。

──素敵な夢をお伺いしました。

ぜひ応援してください!

現在、少女歌劇団ミモザーヌは5期生を募集中。募集要項など詳細は公式サイトにて。

(Lmaga.jp)

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