「道長様、嵐がくるわ…」道長の代わりに時代を見届けるまひろの覚悟、唐突に終わった謎のラストを振りかえる【光る君へ】
吉高由里子主演で『源氏物語』の作者・紫式部(ドラマでの名前はまひろ)の人生を描く大河ドラマ『光る君へ』(NHK)。12月15日放送の最終回「物語の先に」では、まひろのアップがフレームアウトして終わるという、異色のラストが話題に。最初から設定していたという、謎めいた幕切れについて最後に考えてみたい。
■ 再び長い旅に出ることを決意したまひろは…最終回あらすじ藤原道長(柄本佑)の娘で東宮の后となった嬉子(瀧七海)は、皇子を生んで間もなく、若くして亡くなった。皇子は太皇太后・彰子(見上愛)が育てることになり、乳母にはまひろと道長の間に生まれた「越後弁」こと賢子(南沙良)が任じられる。藤原頼通(渡邊圭祐)をはじめ、道長の息子たちが政の中心を担うようになる一方、道長に先立つ子どもたちも出てくる。病気と心労が重なった道長は、1028年にこの世を去った。
道長がいなくなったことで、見知らぬところに羽ばたいていきたいと考えたまひろは、再び長い旅に出ることを決意。賢子に自分の歌集を託し、従者・乙丸(矢部太郎)とともに京を離れた。その道中で、すっかり立派な武者となった双寿丸(伊藤健太郎)と再会。東国で戦が起こったので、朝廷の討伐軍に加わると聞いたまひろは、双寿丸が去っていくのを見つめながら「道長様、嵐が来るわ・・・」とつぶやくのだった。
■ 文学大河ドラマに相応しいラストシーンに特定の人物の一生を描くパターンの大河ドラマは、だいたいその人が亡くなるか、あるいは逝去を予感させて終わるのが王道だ。紫式部の生涯を描いた今回の大河ドラマも、ソウルメイトだった藤原道長が亡くなり、まひろも後を追うように亡くなるのだろうか・・・と思っていたら、その役割は藤原行成(渡辺大知)に譲るというまさかの展開。しかも打ち切られる少年漫画のように「俺たちの冒険はこれからだ!」と言わんばかりのエンドになるとは、誰も予想がつかなかっただろう。
しかしこれは終わり方に困ったからというわけではなく、当初からまひろの「嵐が来るわ」という言葉で終わることが決まっていたそう。思えば藤原道長は第33回で、武力で揉めごとを解決する人間がトップに立てば、そこから平和がほころんでいき、やがては血で血を洗う世の中になる・・・と予見していた。そのために、僧兵たちが押しかけても交渉で解決し、問題行動のある公家は国司に任命しないなどの措置を取ってきた。
だが道長が亡くなった半年後に「平忠常の乱(長元の乱)」が勃発。これを収めるため、朝廷はついに「平将門の乱」以来約80年ぶりに、討伐軍を派遣することになる。最後に出てきた双寿丸が「討伐軍に加わる」と言っていたのは、まさにこの戦なのだ。そして3年にもおよんだこの乱を契機に、関東・東北方面で大きな戦が頻発し、武士の存在価値が公家を凌駕するほどになっていく。
武力をとことん否定していた道長がもう少し長く生きていたら、ここでも穏便に済ませる努力をしていたかもしれない。しかし息子・頼通は早々に武力解決を決め、長い目で見たら自爆の道を選んでしまった。結局彼は、道長の志も政治センスも受け継いでいなかったということで、なんともやるせない。
ちなみに頼通が任命した追討使は争いを止められなかったけど、藤原実資(秋山竜次)が推薦した源頼信(鎌倉幕府を作った源頼朝の先祖)に変わると、即座に忠常は降伏した。すでに反乱軍がこれ以上戦える状態ではなかったからという理由があったとはいえ、なんとも皮肉な結果だ。
政にタッチしていなかったまひろは、こういった状況をどこまで把握していたのかはわからない。しかし、たぐいまれなる知性と感性を持つ彼女であれば、双寿丸のこの言葉だけで、道長が守った泰平が崩れたことと、その崩壊の勢いはもう止められないと察することができたはず。平安の宮廷文化の象徴とも言える老いた紫式部を、気力あふれる若武者たちが追い抜いていくという姿は、まさにこの状況のメタファーだった。
しかしそこでまひろは道長を思って嘆くのではなく、むしろ迫りくる嵐に飛び込んでやろうじゃないか! という、強い意志で受け止めたように見えた。第10回で「道長様が政によってこの国を変えていくさまを、死ぬまで見届けます」と言ったまひろは、道長が死んだあともこの国が変わっていくさまを、死ぬまで見届けるのだろう。その覚悟を雄弁に語るような吉高由里子の眼差しが、まさに主人公にふさわしいものだった。
一見尻切れトンボながら、まひろの心境と今後を想像するとさまざまな思いが激しく交錯するような心地となるラストには、SNSで「物語の先にあった世界は、もはや物語では世の中を変えられない非情な世界だったんだな」「血なまぐさい世相を感じ取る作家の嗅覚。文学大河ドラマに相応しいラストシーンでした」「道長が平和を守ったと本当分かるやつだ」などの声が上がっていた。
■ 次の大河は『べらぼう』、文化が社会に果たす役割を見つめ直す狙い?「盛者必衰」というのは、ここからほぼ200年後に成立する『平家物語』の一節だけど、藤原道長の時代をピークとする貴族社会もまた、これから怒涛のように衰退する。今にして思うと、その引導を渡される相手として、宮廷文化のシンボルだった紫式部は、実にふさわしい存在だった。式部の功績とその愛を少女漫画的に描く大河と思わせておいて、最後の最後で、実は貴族の政と文化が終わる瞬間を、無情に突きつける物語だったことを明らかにするとは・・・脚本の大石静や制作陣が、最初から周到に仕掛けておいた結末に、ただ感嘆するしかない。
ここから日本は、なかなか泰平を築けない時代に突入するが、去年の大河ドラマの主人公・徳川家康の力でようやく落ち着くと、それまでの上流階級発信ではなく、庶民発の大衆文化が生まれてくる。その立役者の一人・蔦屋重三郎(蔦重)が次の主人公になるというのは、どうもきな臭い今の時代だからこそ、文化が社会に果たす役割を、2年連続で見つめ直すという狙いがあるのだろうか? 数々の傑作時代劇を世に送り出した森下佳子が脚本なだけに、『べらぼう』にも大いに期待したい。
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12月29日には『光る君へ』総集編(全五巻)が午後0時15分から放送される。次の大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』は、横浜流星主演で、江戸時代のメディア王・蔦重こと蔦屋重三郎の波乱の生涯を描く。2025年1月5日から、NHK総合で毎週日曜・夜8時から、NHKBSは夕方6時から、BSP4Kでは昼12時15分からスタート(第1回の放送は15分拡大版)。
文/吉永美和子
(Lmaga.jp)