野茂氏米殿堂入りならずも色あせぬ足跡
2014年の米国野球殿堂入り選手が8日(日本時間9日)、発表され、ブレーブスの先発の柱として90年代の黄金時代を築いたグレッグ・マダックス(47)、トム・グラビン(47)両氏と、ホワイトソックスの主砲だったフランク・トーマス氏(45)の3人が選出された。日本人で初めて候補になった野茂英雄氏(45)は選出されなかった。
米国野球殿堂入りの目安は投手なら300勝、打者なら500本塁打などとされ、大リーグ通算123勝の野茂英雄氏は遠く及ばない。日本からメジャー移籍する日本選手の先駆者となった点を評価する声もあったが、メキシコの英雄で通算173勝のフェルナンド・バレンズエラ氏も選ばれておらず、野茂氏が選出されなかったことは当然の結果ともいえる。
しかし、その足跡が色あせることはない。大リーグに移籍しようという発想が一般的ではなかった1995年、近鉄から任意引退選手となって渡米。ドジャースでいきなり13勝を挙げ、新人王と最多奪三振に輝いた。その前年のストライキで停滞ムードが漂っていたメジャーで「トルネード旋風」を巻き起こした野茂氏は救世主と呼ばれた。
レンジャーズと7年契約を結んだ韓国出身の秋信守外野手は「もっと野茂氏に敬意を払うべきではないか」と話す。イチロー外野手もダルビッシュ有投手も、野茂氏の切り開いた道を歩いたといえる。開拓者としての功績は今も輝いている。