【イチローが語る仰木監督=中】
近鉄をリーグ優勝、オリックスをリーグ連覇と日本一に導いた名将・仰木彬氏(享年70)が死去してから、今月15日で丸9年が経った。その仰木監督の下でブレイクして日本球団を代表する選手に成長し、さらにメジャーでも『伝説』になろうとしているイチロー外野手(41)が同氏との思い出を熱く語った。
◇ ◇
『仰木マジック』。95年、初のリーグ優勝、96年、初の日本一。オリックスを強豪球団にした変幻自在の采配は若きイチローの目にはどう映っていたのか。
「『先を見る』。そのタイミングがめちゃくちゃ早い。三塁コーチに出すサインとか、仕掛けるスピードがハンパなかった」
その戦術もさることながらイチローが感嘆したのは巧みな人心掌握術だった。
「監督としての技量を僕に聞くなら、とにかく、この上司のために働きたいと思わせる能力。それが誰よりも長(た)けていた」
監督就任1年目の94年4月28日、福岡ドームでのダイエー(現ソフトバンク)戦。0-3で敗れた試合でイチローは1安打を放った。敗戦後の宿舎へ帰る車中の空気は重い。しかし、バスを降りる際に掛けられた言葉にイチローの心は鷲掴(づか)みされた。
「イチロー、お前、なにをそんなに暗い顔してるんだ?試合の勝ち負けは俺に任せとけ。お前、二塁打1本打ったじゃないか。それでいいんだ。お前は自分のことだけ考えてやれ」
仰木の口調をまねながらイチローが20年前のシーンを再現する。
「その瞬間から自分のためではなく、この人のためにやりたい、と思った。普通なら『チームのことだけ考えろ』ってなりがちだけど、『自分のことだけ考えてやれ』って。仰天しましたね」
しかし、仰木はそのメッセージを選手全員に伝えたわけではなかった。
「監督は僕が自分に厳しい人間だという評価をしたのではないでしょうか。尻叩かれないとやれない選手に対しては試合中でもビンタしてましたから。先輩だったんですけど、試合中にお客さんには見えない、ダッグアウトのちょっと入ったところに呼ばれて、パンッ!パンッ!パンッ!って往復ビンタですよ」
野球選手としての能力は当然のこと、その性格、人間性をも見極めた上でアクションを起こす。
「そりゃあ、気ぃなんか抜けないですよ。だって、自分のプレーによって監督が恥ずかしい思いをするかもしれない。『監督に守られてる』っていうのはこういうことですから」
プロ生活23年。日本とメジャー、そして、WBC。計11人の監督の下でプレーしてきた。
「どんな人間かを察知する能力が確実にあって、それに応じて選手を操る。心の掴(つか)み方っていくつかパターンがあるけど、仰木監督はその型が無数にあるように見えた。それがマジックなのかもしれないですね」=敬称略=(小林信行)