ドジャース・前田、挑戦の原点は13歳
米大リーグ・ドジャース入りした前田健太投手(27)が、初登板初勝利、初本塁打でメジャーを驚かせた。黒田博樹投手(41)が「ナイスバッティングでしたね」、緒方孝市監督(47)が「大したもんだ。野手でも簡単には打てない」と振り返ったように、驚きは主に“打者”としてのもの。かつてのチームメートにとって、投手・前田の6回無失点は、ある意味で当然だ-ということなのかもしれない。
前田が初めてメジャー志向を公言したのは、2013年シーズンオフの契約更改の場。同年春には第3回WBCに出場した。志すきっかけについて「それが全てではないけど、向こう(米国)に行って、球場の雰囲気だったり、今までは自分のチームで、自分が一番だと思ってやってきたけど、自分の力のなさを痛感したし、なんか違うなと思った。もっともっと自分より上の選手はたくさんいるし、自分よりもすごい投手はたくさんいる。その中でやってみたいという思いに、段々なってきた」と話していた。続けて、メジャーの魅力について「行ってみないと分からない。でも、その魅力を感じるために行く」と、挑戦理由を語った。
挑戦-こそ、前田の野球人生だった。国際大会の原点は中学3年生の夏、ブラジル・サンパウロにある。2003年8月9~16日の約2週間、前田は日本代表として「世界少年野球大会」に出場した。18番を背負って4試合に登板。日本は7戦全勝で、4年ぶり世界一を決めた。
「楽しかったけど死ぬかと思った」。振り返れば自然と笑みがこぼれる。機内食はカロリーメイト2本。当時は政情も不安で、街は厳戒態勢。「ホテルから出るな」と徹底された。そんな中で、アメリカら強豪国を相手に、世界で戦う楽しさを知った。
決勝戦はブラジルを相手に、橋本(元阪神)とのコンビで6回2失点の好投。大会最優秀選手に選ばれた。「夏休みは全部なくなった。でもいつもと違う仲間と、違う環境で戦う楽しさを知った」。13年前、日本の真裏で宙に舞った。その経験が、国際舞台でも動じぬ強さの根底にある。
PL学園への進学理由も「プロに行くことしか考えてなかったから」だという。当然、「僕は人に恵まれた」と振り返るように、多くの人と出会い、成長があったのだろう。だが、絶えることのない向上心と探求心が、世界に羽ばたいた前田を支えている。
プロ2本目の本塁打は、昨年10月2日の中日戦(甲子園)。若松の決め球チェンジアップを狙い打ちし、左翼スタンドに決勝アーチを架けた。「チェンジアップしか待ってなかった。最後は必ず決め球が来ると思って、絞っていましたね」。メジャー1号も狙い澄ました1本に見えた。高校通算27本塁打のスラッガーは、打席でも向上心を忘れない。記念すべきメジャーでの1勝。前田の挑戦はまだ、始まったばかりだ。(デイリースポーツ・田中政行)