ダルビッシュ 日米通算200勝 野茂&黒田に続く日本人3人目 全ての白星が先発のみは日本人初
「ブレーブス1-9パドレス」(19日、アトランタ)
パドレスのダルビッシュ有投手(37)が19日(日本時間20日)、日米通算200勝の金字塔を成し遂げた。敵地でのブレーブス戦に先発し、7回を2安打、9奪三振、1四球で無失点と快投。打線の援護を受け、節目の白星を手にした。メジャーで107勝、日本で93勝をマーク。日米通算200勝は野茂英雄、黒田博樹に続く3人目で、日本のみで200勝以上は24人。計27人のうち、全ての白星を先発のみで挙げたのはダルビッシュが初となった。
偉業が懸かった試合でダルビッシュが存分に技、駆け引きを披露した。操った球種は8種類。スライド登板の上、暑さと湿度もまとわりつき、速球の出力は本来のものではなかったが、昨季MVPのアクーニャや本塁打王のオルソンら強力打線を手玉に取った。7回を2安打無失点で二塁も踏ませず、日米通算200勝を達成。古巣の日本ハムの帽子をかぶって取材に応じた右腕は「正直、実感がない。特にないけど、200に届いたのでほっとしている」と素直な言葉が口をついた。
日本で7年、米国で13年。プロ1年目の時は「200」の数字は考えもしなかったという。「(自分は)本当に練習したくない人だった。覚えているのは、最初に札幌ドームの西武戦で西口(文也)さんが投げて。すごく好きな投手だった。先輩の小田(智之)さんに『すごく勝てる投手だから勉強しろよ』と言われた。その時、167勝だったと思う。気が遠くなるような数字。自分がそこまでいけたのは、よく頑張ったと思う」。少しだけ自分を褒めた。
「練習をしたくなかった人」が誰よりもストイックに練習し、相手を研究する投手になった。妻・聖子さんとの食事中でも、タブレットを持って相手打者を分析することもある。きっかけは2年目のヤクルト戦。五回途中6失点で降板し、プロ人生の終わりが「見えた」ことだという。
「もう無理だと思った。このままだと結局ずるずるいって、1軍半とかそういうふうになる。その時、東京ドームホテルに戻って、すぐにサプリメントの会社に連絡をして、ちょっと来てくださいと。いろいろ教えてもらったり全部買って、そこからスタートですね」
ダルビッシュの原点。目標に据えたのは西武の松坂大輔投手だった。「その時、トップだった松坂さんが本当にすごかった。カットボールで149キロとか投げて。ああなりたいなと思ったのがきっかけ」。大投手になる道筋ができた。
数々の勲章や記録を手にしてきたが、その根本には数字のことなど全くない。「小さい時から成績を残すとかではなくて、いろんな変化球を投げたいとか、こんな球を投げたいというのが、自分がやっている動機ではある」。37歳になっても日々、新しいことに挑戦し、投球を突き詰める。野球少年の感覚が、不世出の右腕を支えている。
◇ダルビッシュ有(だるびっしゅ・ゆう)1986年8月16日生まれ、37歳。大阪府出身。196センチ、100キロ。右投げ右打ち。投手。東北高からドラフト1巡目で日本ハム入団。NPBでのタイトルは最優秀防御率2回(09、10年)、最多奪三振3回(07、10、11年)、最高勝率1回(09年)。12年にポスティングシステムでMLBのレンジャーズへ移籍して16勝。以降、ドジャース、カブスを経て21年からパドレスでプレー。13年に両リーグ最多の277奪三振。20年に8勝で日本投手初の最多勝。