愛しのカブスに「グッドラック!」
現在、ナ・リーグ中地区で最下位に沈んでいるのがシカゴ・カブスだ。昨季に続く最下位に落ちそうで私はヤキモキしている。
というのも、私のスカウト人生の礎を築いてくれた忘れられない球団の一つでもあるからだ。ことにカブスから82年オフに獲得したジム・トレーシー外野手のことは忘れられない。
彼はメジャーからマイナー落ちしていたが、シュアなバッティングが光った。性格もマジメで、日本で必ず活躍できると判断した。
実際、1年目には打率3割3厘、19本塁打とまずまずの成績を残した。テレビの水戸黄門が大好きで、ファンからもらった印籠を手に「コレガメニハイラヌカ」とやって、チームメイトたちを笑わせる、ひょうきんな一面もあった。
しかし、2年目のシーズンが始まって3試合目。ゲーム半ばで代走を出されたことにひどくプライドを傷つけられ、監督と衝突。そのままチームを離れて帰国した。
帰国後、トレーシーは頑張った。最初は野球界から足を洗おうとしたのか。段ボール会社に就職したらしい。
しかし、シカゴ・カブスにドラフトしたスカウト部長の招きでカ軍傘下の1Aチームの監督に就任した。
偶然の再会を果たした。ある1Aのチームの試合を見学中、トレーナーが、「ボス(監督)が日本でプレーをしていたことがある」という。
「ボスはだれ」と聞くと、トレーシーという。指揮を執っていたトレーシーに「ジム!」と呼びかけた。その声に気が付くと「Hey! Tad(私のニックネーム)と笑顔で応じたのだった。
その何年か後、トレーシーから手紙が送られてきた。彼が3Aのチームを優勝させた際に選手やコーチ全員に送ったものだ。
文面には彼らに対する感謝の気持ちが書かれていた。私にも感謝の念を抱いていたようで、泣かせることに「ベイスターズで自分が必要なときはいつでも駆けつける」とも書いていた。スカウト冥利に尽きるとはまさにこのことだ。
その後、ドジャース、パイレーツの監督を歴任して立派な成績を収めた。09年には最優秀監督に輝いた。
さて最下位に沈んでいるカブスは7日(現地時間)、藤川球児投手が本拠地のパイレーツ戦の九回に4番手として登板し、下位打線からのパ軍打線を封じた。これで4試合連続無失点だ。
しかしながらチームは先発ウッドが二回途中で7失点KOされるなど3連敗だ。
マイナス面ばかり見ても仕方ない。今後の注目株に目をやろう。
投手では右腕カイル・ヘンドリックス投手(24)だ。8月に4勝(0敗)を挙げ、防御率1・69で「月間最優秀新人賞」を受賞している。カリフォルニア出身。彼は11年、ドラフト8巡目指名でレンジャーズ入団。12年7月末にトレードでカ軍に移籍してきた。
140キロ後半の速球、チェンジアップ、カーブ、スライダーを両サイドに投げ分ける頭脳派投手。今季途中にメジャー初昇格。現在、6勝(1敗)をマークしている。
打者ではパワーが売りのアンソニー・リゾ一塁手(25)。フロリダ出身。191センチ、109キロ。07年ドラフト6巡目でレッドソックスに入団し、10年12月にパドレス移籍を経て、12年にカブスへ移籍した。強肩、攻守の強打者である。
長期低迷が続くカ軍。最後の世界一は1908年で、リーグ優勝も1945年を最後に遠ざかっている。それでも、両選手以外にも、有望株はたくさんいる。レンテリーア監督よ、最後の最後まで上を目指せ。
我が愛しのチームに「Good Luck Cubs!」と声援を送る。
(デイリースポーツMLB解説委員・牛込惟浩)
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牛込惟浩(うしごめ・ただひろ)1936年5月26日生まれ、78歳。東京都出身。早稲田大学を経て64年、大洋ホエールズに入団。渉外担当としてボイヤー、シピン、ポンセ、ローズなど日本球界で大活躍した助っ人たちを次々と獲得し、その確かな眼力でメジャー球界から「タッド」の愛称で親しまれた。2000年に横浜ベイスターズを退団。現在はデイリースポーツMLB解説委員。