オリ・福良監督 第二の故郷でV誓う
オリックス・福良淳一監督が26日、大分市内のホテルで「監督就任祝賀会」に出席した。会にはかつての所属先である大分鉄道管理局の関係者に加え、補強選手として都市対抗に出場した新日鉄大分のOBら180人が集まった。
「大分は第二の故郷です。大分での6年間がなければ今の自分はない。来季は頂点を目指します」
福良監督は延岡工を卒業後、大分鉄道管理局に入社。事務を2年務めたあとは2年間、保線を担当。レールの交換や線路の補修などの重労働に従事。朝から17時まで仕事をした後にボールが見えなくなるまでが野球の練習時間。電車が走っていない間に作業するため、ときに深夜から早朝まで仕事をすることもあったという。
「とにかく練習時間が取れなかった。みんなに追いつくために、どこかでやらないと、と思って夜、バットを振っていましたね」
あまりに過酷な労働環境だったため、配置転換を申し出て、元の事務に戻った。2年後、阪急にドラフト6位で指名された。
当時、国鉄は民営化を直後に控えていた。世間の目もあり、野球だけをやるという環境ではなかったという。