宇多田父娘が藤さんへの思いつづり追悼
母・藤圭子さん(享年62)が東京・西新宿のマンションから22日に投身自殺した歌手・宇多田ヒカル(30)が26日、公式ブログに初めて自身のコメントを掲載した。
「8月22日の朝、私の母は自らの命を絶ちました。様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください」と書き出した。
「彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました」と、生前の藤さんが置かれていた状態について説明した。
病は昔から藤さんに取りついていた。「幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。病状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした」と、母の病気が進む様子とともに、ヒカル自身の苦しみも打ち明けた。
その行き着いた先が自殺…。「母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです」と、ヒカルは苦渋を言葉にして書き込んでいく。
そして母の思い出が、自然と心に浮かんだ。「誤解されることの多い彼女でしたが…とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です」と、母への愛が心にあふれ出した。
「母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました。25年8月26日 宇多田ヒカル」
ホームページにはまた、前夫で音楽プロデューサーの宇多田照實氏がヒカルの所属事務所代表として、また藤さんの元夫として「ご報告と謝辞」を記載した。
照實氏は遺言書の存在を明らかにした上で「通夜、葬儀に関しては、故人の遺言書に書かれていた本人の強い意志に従い、執り行わないことにしました」と明言した。
また、藤さんの長年の様子と、最後の会話に至るまでを綿々と書きつづった。
それによると、藤さんの感情の変化がより著しくなり始めたのは宇多田ヒカルが5歳くらいのこと。藤さんの母・故竹山澄子さんに対しても攻撃的な発言や行動が見られるようになり、ヒカルと照實氏も攻撃の対象になったとか。
しかし感情の変化は激しく、「ゴメン、また迷惑かけちゃったね」と数分後には反省しているような状態で、照實氏は病院で診察を受けることも勧めた。このアドバイスが逆に、藤さんの照實氏に対する不信感につながってしまったという。
最近の12年間は、「好きな旅に思い立ったら出かけるという生活を送っていました」。ニューヨークを拠点として米国各地、ヨーロッパ、オーストラリアなど気の向くまま、頻繁に旅していたようだ。
ヒカルと照實氏に、昼夜を問わず突然電話してくることがあった。「『元気?』という普通の会話が交わされる時もあれば心当たりのない理由で罵声を浴びせられる時もあり、相変わらず心の不安定さを感じさせられてとても気がかりでした」と照實氏はつづる。
最後の会話は8月14日だった。「この時は珍しく明るい口調で…約8分間、世間話を含め、お願いごとを何件か受け、了承し電話を切りました。その8日後の自殺となってしまいました」と、その時の会話を思い出す。
「純子(藤さんの本名)として覚悟の上での投身自殺だったのか、衝動的に飛び降りてしまったのか、今となっては知りようがありません。最終的に僕から救いの手を差し伸べられなかった悔しさ、大切な人間を失った悲しさでいっぱいです…純子と過ごした日々は僕の記憶にはっきりと刻まれています」
その遺志を尊重して、葬儀は行わない。父と娘は、自殺した母と3人で闘った病のこと、救えなかった苦しみ、そしていい思い出をともに書き込んで、藤さんを追悼した。