中井女流六段退会は理事との“対立”
将棋の中井広恵女流六段(44)が、所属の日本女子プロ将棋協会(LPSA)を23日付けで退会し、フリー棋士となったことが24日、同協会から発表された。
中井六段は書面で、「協会、および所属女流棋士の方々との方針、方向性の違いに思い悩み、また前代表としての責任を痛感する一年でした。協会設立から応援して下さった皆様を思うと本当に辛い決断でしたが、やはりスポンサー様や関係者の皆様にご迷惑をお掛けしている現状はあまりに忍びなく、退会という選択に至りました」と理由を説明した。
LPSAは2007年に、女流棋士の待遇改善を求め、日本将棋連盟から“お家騒動”の果てに独立。中井が初代代表を務めた。だが昨年1月、代表理事の石橋幸緒女流四段(33)が、同協会所属の新人棋士のプロ資格を巡って日本将棋連盟と対立。6大タイトル戦の1つである「第6期マイナビ女子オープン」準決勝の対局を放棄する問題に発展した。
LPSA側は6月にスポンサーである株式会社マイナビに謝罪したが、8月に石橋女流四段が週刊誌上で日本将棋連盟とおよびマイナビを批判する発言を行ったことで、日本将棋連盟は態度を硬化。10月には「今後一切の契約や交渉を行わない」とし、LPSAに“絶縁”を宣言していた。
中井女流六段は、デイリースポーツの取材に「単に方向性や考え方の違いだけで協会を離れるのは、わがままになってしまう。今回は、スポンサー様などにご迷惑をお掛けしたこと、また決定していた対局が進行されなかったということが、私の中では納得できなかった」と説明。石橋女流四段の“対局ボイコット”に対する抗議の意志が強いことを明かした。
また、07年の独立以降、日本将棋連盟と、仕事のあっせんなどで軋轢が続いていたことも認め、その上で「私としては、過去のことはある程度置いておいて…という考えで、石橋さんとも何度も話し合いをしてきましたが、平行線のまま終わってしまった」と、退会の経緯を説明。日本将棋連盟への復帰については「単独で戻るというのは、現実的ではないです」と否定した。
中井女流六段は1981年に女流2級となり女流プロ入り。同世代の清水市代女流六段(45)、引退し後にタレントとしても活躍した林葉直子(45)と“3強”を形成し現在でも強豪女流の一角として活躍。女流では2位となる通算19期のタイトルを獲得している。