美川、宮沢りえの婚約「ぶっ壊した」
歌手の美川憲一が5日、読売テレビのバラエティー番組「上沼・高田のクギズケ!」(日曜、前11・40)に出演。9月23日に死去した女優・宮沢りえの母で所属事務所「エム・ツー企画」の代表取締役・宮沢光子さんに依頼され、貴花田(現貴乃花親方)との婚約を解消するよう、りえに電話で説得したことを告白した。
りえは1992年11月27日、貴花田と手をつなぎ、幸せいっぱいのツーショット婚約会見。“世紀の結婚”と注目を集めたが、翌93年1月25日、史上最年少大関を決めた貴花田が「連絡もとってないし、会ってない」と話し、大騒動に。同27日、りえが破局会見を行い、「残念です」と破談を認めた。
りえママと「仲がよかった」という美川は、「婚約したときにりえママから電話があった。『やっぱり、嫁ぐところが相撲の世界だから、りえがおかみさんになれる(おかみさんとしてやっていける)ということはありえないと思うのよ』って。それで頼まれてぶっ壊したのよ」と婚約を解消するよう、りえを説得したことを衝撃告白した。
当時、滞在先のロサンゼルスからりえに電話をかけ、1時間ほど話し込んだという。「本当にお嫁に行きたいの?」と聞くと、りえは「行きたい」ときっぱり答えたという。
しかし、美川は「あんたは背負ってるものが重すぎる。あんたも母一人子一人。私も2人の母(生みの母と育ての母)を背負ってきた。そういう家庭に生まれたらしょうがない、運命だから。おかみさんになったら、お母さんどうするの?ずっと面倒みていかないといけないのよ」と語りかけた。
りえは、電話の向こうで「泣いていた」という。
それでも、美川は「あんたもここで、好きだから、って一緒になるんじゃなくて。もう一回考え直して。女優として大成するんだから」と説得したことを明かした。
美川はりえを妹のようにかわいがっており、破局会見当夜、りえママ、相談相手だった故木原光知子さんと共に自宅でりえと深夜まで過ごし、励ましていた。