米朝さん 国宝の通夜に国宝も参列
19日に肺炎のため89歳で亡くなった人間国宝の落語家・桂米朝(本名・中川清)さんの通夜が24日、大阪府吹田市の千里会館で営まれた。
上方落語復興の最大の功労者だった米朝さん。戦後、歌舞伎、落語の枠を越え、共に『上方』(関西)の復興に尽力した歌舞伎俳優で人間国宝の坂田藤十郎(83)は「米朝さんのおかげで視野が広がった。(私が向こうに行くまで)待っててください」と語りかけた。弔問客の中には、米朝さんとともに「上方落語の四天王」と呼ばれた桂春団治(85)の姿も見られた。
長男の桂米團治(56)は喪主あいさつで「米朝は死生観を語る時、『生きてることと死んでることは変わらへんのや。魂は変われへんのや』と言っていました。おそらくまだそのへんにいるのでしょうね」と涙は見せず、笑顔を作った。
米團治から促され、あいさつに立った藤十郎は『上方』復興にともに尽力した時代を振り返り「“和”を広めていけば平和な人生が開ける、と(教えられた)。大きく視野が広がりました」と話し、「向こうで待っててくださいね。でもあんまり早く呼ばないでくださいね」と呼びかけた。
実家が神社の神主で、落語家になる前には米朝さん自身も宮司を務めていたことから、通夜は神式で営まれた。なお、25日の葬儀では出棺の際に出囃子(でばやし)で見送るという。