福見メダルならず5位「一生悔い残る」
「ロンドン五輪・柔道女子48キロ級・3位決定戦」(28日、エクセル)
女子48キロ級の福見友子(27)=了徳寺学園職=は3位決定戦でエバ・チェルノビチュキー(ハンガリー)に小外刈りで一本負けし、5位に終わった。同階級が五輪の正式競技となった92年バルセロナ大会以降、日本がメダルなしで終わるのは初めて。サラ・メネセス(ブラジル)が優勝した。
“五輪には魔物が住んでいる”。そんな格言など無縁かと思われた柔道ニッポン女子のエースに、魔物は突如として牙をむいた。
まさかの敗戦だった。10年アジア大会決勝の不可解判定による敗戦を除けば、この4年間、福見は海外選手に負けていなかった。磐石の強さで勝ち上がって迎えた準決勝。北京五輪で谷亮子を破り、金メダルを獲得したドゥミトルを序盤から果敢に攻め立てた。しかし、気迫は空回り。30秒過ぎに組み手で指導を取られると、1分40秒過ぎには一瞬のスキを突かれ、技ありを奪われた。完全に逃げ切りを狙った相手を最後まで崩せず、敗戦。福見の虚ろな視線がさまよった。
初めての夢舞台までは、長く険しい道のりだった。「遠回りをした」。福見はそう表現する。02年、高校2年生の時に、当時、12年間国内無敵を誇った田村亮子を破り、“ポストYAWARA”として一躍注目を浴びた。突如集まった期待の視線に、福見は戸惑った。“魅せて”勝とうとする思いが頭をよぎり、高校生にも勝てなくなった。 暗闇の中から、救い出してくれたのは、母早苗さんだった。母は05年に脳腫瘍の手術を受けた。当時、スランプの真っ只中にあった福見は急いで病室に駆けつけた。「何しに来たの!練習しなさい」と、一喝された。父茂さんは福見が3歳になる直前に交通事故で他界。それから早苗さんが、兄、姉の3人を女手1つで育ててくれた。そんな母の厳しい言葉に、目が覚めた。そんな母に、そして天国の父に、最高の報告がしたかったが…。
3位決定戦でも一本負け。女子48キロ級では谷が紡いできた日本勢5大会連続メダルの記録も途切れさせてしまった。これが最初で最後の五輪と決めていた。欲しいのはたった1つ。ゴールドの輝きだけだった。「一生悔いが残る試合だった。金メダルを取れなかった。これが五輪だと思う」。27歳の集大成の大会は、ほろ苦さを残して幕を閉じた。