鈴木聡美 大粒の涙から始まった復活劇…ロンドン「銀銅銅」から一転どん底見て成長
7日(日本時間8日)予選の競泳女子100メートル平泳ぎに出場する鈴木聡美(25)=ミキハウス=が、自身の復権をかけた2度目の五輪に挑む。4年前のロンドンで日本女子競泳史上最多となる1大会3つのメダルを獲得しながら、その後に2度あった世界選手権では準決勝敗退と落選を経験。どん底からはい上がって再び五輪切符をつかんだ背景には、山梨学院大の学生時代から師と仰ぐ神田忠彦コーチ(57)との強い絆があった。
人気女優だった故・夏目雅子さんに似ているともいわれる「聡美スマイル」が、五輪の大一番を前に戻ってきた。「着実にメダルに届くところまできている。1分5秒台を目指せば一番いい色も見えてくる。金メダルに向かって無我夢中に頑張っていきたい」。苦悩し続けた過去3年では考えられないような心強い言葉が並んだ。
浮き沈みの激しい4年間だった。ロンドン五輪では日本女子競泳史上最多となる3つのメダル(銀1、銅2)を獲得。帰国後は大フィーバーが起こった。ところが翌年のバルセロナ世界選手権は100メートル、200メートル平泳ぎともに準決勝敗退。昨年は両種目ともに日本選手権で敗れ、世界選手権の代表から落選。国内選考会の決勝にすら進めぬ屈辱に大粒の涙をこぼした。
低迷の原因は環境の激変だった。ロンドン五輪翌年からミキハウスに所属することになり、鈴木は心に決めた。「メダリストとして社会人として、自覚を持たなければならない。これからは自分で考えて自分で行動して有言実行していかなければならない」
この責任感の強さが裏目に出た。袋小路に迷い込んでも自分一人で解決しようとして、さらに調子を崩す悪循環。これ以上は限界と悟ったのは、人目もはばからず泣いた昨年の200メートル平泳ぎ予選敗退直後。その日の午後10時、鈴木は自分の携帯電話を取り出し、神田コーチをホテルのフロントに呼び出した。
「すぐに決意表明をしました。これを先延ばしにしたら『もう辞めてもいいんじゃないか』って引退宣告されると思って。それがすごく怖かったので、言われる前に『私、本当に変わりたいのでよろしくお願いします』と伝えました」。神田コーチは「本当に変わりたいのならば、どんなに苦しいことがあっても頑張るんだぞ」と、厳しくも優しい言葉でうなずいた。
そこからは二人三脚で再び五輪の舞台に戻ってきた。「今回のリオでもう一回、コーチの首にメダルをかけてあげたい」。5年越しの夢をかなえたとき、師弟の復活ドラマは完結する。