レスリング太田、銀に悔し涙 笑顔の表彰台は東京で!

 「リオ五輪・レスリング男子グレコローマン59キロ級・決勝」(14日、カリオカアリーナ)

 レスリング男子グレコローマンスタイル59キロ級の太田忍(22)=ALSOK=が銀メダルを獲得した。五輪初出場の太田は、1回戦でロンドン五輪55キロ級金メダルのハミド・ソルヤン(イラン)に逆転勝ちするなど強豪を立て続けに破って決勝へ進出。決勝で昨年の世界王者のイスマエル・ボレロモリナ(キューバ)に0-8のテクニカルフォールで敗れたが、フリーと合わせて4階級のみ出場の男子で、日本の五輪連続メダルを16大会(不参加の1980年モスクワ大会を除く)に伸ばした。

 テクニカルフォールでボレロモリナに敗れた太田は、マットをたたいて悔しがった。「申し訳ない気持ちでいっぱい。金メダルだけを目指していたので」。一矢も報いることができず、目には涙が光っていた。

 青森県五戸町出身。隣接する八戸市のクラブで小学1年からレスリングを始めたが、最も大きな支えになったのは父・陽一さん(50)だ。自宅の廊下でも廃工場の片隅でも、時間と場所さえあれば息子の練習相手になってくれ、「自分で考えて闘え」と言い聞かされてきた。父も30代まで社会人の大会に参加していた元選手。届かなかった五輪への夢を息子に託し、冬は工場の壁の隙間から粉雪が舞い込む中で息子と組み合った。

 もう一人の“恩人”は、ロンドン五輪女子48キロ級で金メダルを獲得した小原(当時坂本)日登美さん。当時既に世界一になっていた大学生の小原さんが故郷・八戸のクラブで猛練習を重ねる姿に「あの人、めっちゃ練習する。やはり練習は裏切らない」と確信した。

 山口・柳井学園高2年時にフリーからグレコローマンに転向。日体大を経てALSOKへ進んだ後も、代表の練習と並行して日体大の練習場に通い続けた。日本代表グレコの西口茂樹監督は「(本人は)世界で一番練習していたと自負していたと思う。金を取らせてあげたかった」と太田の心中を思いやった。

 俊敏性に富んだ身のこなしで瞬時に体勢を逆転してピンチを脱する場面が何度もあった。レスリング界で「忍者レスラー」と称されるゆえんがこれ。本人は「小さいころからわざとタックル取らせてからやるとか、取られそうで取られない練習をしていたのが、いま生きているのかな」と話し、自身の戦闘スタイルが世界で通用することを再認識した。「東京ではちゃんと金を取るよ」。敗れて手にした銀を糧に、「忍者」に磨きを掛ける。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

五輪最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    デイリーおすすめアイテム

    注目トピックス