“タカマツ”松友美佐紀の考える力が「金」もたらした 中学時代の恩師が語る素顔
リオデジャネイロ五輪のバドミントン女子ダブルスで、徳島県藍住町出身の松友美佐紀(24)が、高橋礼華(26)=ともに日本ユニシス=との“タカマツペア”で金メダルを獲得した。徳島中時代に松友を指導した西野昌明さん(81)=徳島県バドミントン協会会長=は、現地で全試合を観戦。日本勢初の快挙を見届けて帰国した恩師に、松友の素顔や中学時代の思い出などを聞いた。
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-松友選手の金メダル、おめでとうございます。決勝は大逆転。
「手に汗握りました。最後は16-19から5連続得点でひっくり返して、勝った瞬間は私も涙が出ました。あんなに感激したのは人生で初めてです。決勝戦の翌日、金メダルを触らせてもらいましたよ。国内大会のメダルとは違って、分厚くて重かったですね」
-中学時代、五輪の金メダルは想像していた?
「いえいえ。当時の目標は全国大会優勝でした。本人からもオリンピックに出たいなんて話は聞いたことがなかったですね」
-中学入学当時の松友選手の印象は?
「小学校で全国優勝していましたから、力はありました。運動神経が良くて、俊敏で、ネット前の動きやラケットの使い方が器用でしたね」
-どんな性格の選手だった?
「負けん気は強いけど冷静で、怒ったりしない子でした。何より自分で考える力がありました。自分で目標を立てて、どうすれば達成できるかを自分で考える。当時、練習で松友が打ったシャトルがネットに当たって相手コートに入ることがよくありました。本人に聞くと、それを狙っていると言うんです。この子は違うなと思いました」
-3年時にはキャプテンも務めた。
「勉強も学年トップクラスで、性格もしっかりしていましたから。松友の影響で周りの子も練習するようになり、チームが強くなりました。その年、全国大会で初めて団体優勝しました」
-指導にも力が入った?
「私は基本を教えただけ。松友は自分で考え、自分の力で強くなったんです」
-高校は徳島を離れ、宮城県の聖ウルスラ学院英智高に進んだ。
「力を伸ばすために、この子は県外に出すべきだと思いました。当時、聖ウルスラは全国トップ。練習環境が良くて指導陣もしっかりしていました」
-その聖ウルスラ学院英智高で高橋選手とダブルスを組んだ。
「素晴らしいコンビだと思います。パワーがある高橋さんと、俊敏で細かいプレーが得意な松友。性格的にも、闘志が前に出るタイプの高橋さんを冷静な松友が上手に支えている感じで、相性がいいんでしょう」
-中学卒業後も交流は続いている?
「毎年、年末年始に必ず徳島中に顔を出してくれます。練習を見てくれて、生徒たちは松友が来てくれるのをすごく楽しみにしているんです。律義で、地元思いの子ですね」
-そんな教え子が金メダル。
「松友のおかげで全国大会で団体優勝できただけでなく、金メダルまで見せてもらえた。夢のようです。教え子ですけど、私の方が教えられたことが多いですね」
-次は東京五輪。
「本人も『東京を目指す』と言っているみたいですね。4年後は28歳。年齢的にはピークを過ぎていると思いますが、松友のことだから努力でカバーするでしょう。私も楽しみです」