羽生、涙の五輪連覇 “氷に乗ることの不安”乗り越えた魂の4分半

 「平昌五輪・フィギュアスケート男子・フリー」(17日、江陵アイスアリーナ)

 ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(23)=ANA=が206・17点をマークし、合計317・85点で男子では1948年サンモリッツ、52年オスロ大会のリチャード・バットン(米国)以来、66年ぶりの2連覇を成し遂げた。今大会日本選手団第1号の金メダルは、冬季五輪1000個目の金メダル。右足のケガからの復帰戦ながら最後まで意地の演技で耐え続け、日本選手として冬季五輪の個人種目で初めて連続で頂点に立った。

 この瞬間だけを信じていた。広がっていたのは、4年間待ち望んでいた光景。太鼓の音色に導かれるように両手を広げて演技を終えると、羽生は天高く人さし指を突き上げた。「勝った」-。心の底で確信した。「何より自分に勝てた」。声にならない感情が、叫びとなってリンクにこだまする。鎮痛剤を打ち、テープを入念に巻いた右足首を両手でさすり、右膝をついて氷を3回コンコンコンとたたいた。金メダルが確定すると「色んな思いがこみ上げてきた」。涙があふれて止まらなかった。

 羽生結弦の魂が宿った4分半だった。冒頭の4回転サルコーに始まり、繰り出される技の全てが、俺が王者だと物語っていた。昨年11月に痛めた右足首の影響は、最後まで引きずった。曲を通す練習もままならなかったが「勝ちたい」。その執念だけで耐え、「SEIMEI」に思いをぶつけた。

 「最初に診断してもらったじん帯損傷だけでなく、本当に色んなところを痛めていて、氷に上がれない日が長かった。体力よりも氷に乗ることへの不安が大きかった」。無理を押しての出場だった。

 今回のケガはもちろん、苦難と隣り合わせの4年間を過ごしてきた。14年中国杯の衝突事故では下あごを7針縫ったのをはじめ計5カ所を負傷。同年末には腹部を手術した。捻挫は何度も繰り返し、風邪はしょっちゅう。一昨年の全日本選手権はインフルエンザで欠場を余儀なくされた。「ケガばっかりですね。でもそれだけ勇気を持ってチャレンジしてきたから」。困難に直面しても、羽生が折れることはなかった。

 それは羽生の根源に常に一つの記憶があるから。2011年3月11日、故郷仙台を襲った大きな揺れ。自宅は全壊し、4日間避難所で過ごした。リンクは休業。全国をアイスショーで回ったが、その間もスケートを続けることと葛藤した。あの苦しさを知るからこそ、羽生の心は尋常でないほど強く、美しい。

 「あれ以上悲しいことはないと思っているんですよ、いまだに。あれ以上苦しいことも悲しいことも不便なこともない。だからつらいとき、苦しいときでも乗り越えられるきっかけ。あれがあったから今がある」。4年前、金メダルとともに凱旋したときに向けられた笑顔は今も忘れない。「今度はちょっと自信を持って、また笑顔になってもらえたらいいな」とはにかんだ。

 「とにかく劇的に勝ちたい」と豪語していた羽生が紡いだ、奇跡であり必然の復活劇。あまりにも劇的なエピローグに「人間としての人生を考えたらなんか変」と自ら笑ったが「漫画の主人公にしてはちょっとできすぎなぐらい(困難な)設定が色々とあって、でもこうやって金メダルをとって…。こんなに幸せなことはない」と胸を張った。まばゆく光る金メダルが誰よりもよく似合う。羽生結弦は間違いなく、伝説として語り継がれる氷上のヒーローだ。

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