小平奈緒を救った 相沢病院の“無償支援” 無名の頃から支え続ける理由
「平昌五輪・スピードスケート女子500メートル」(18日、江陵オーバル)
スピードスケート女子500メートルで金メダルを獲得した小平奈緒(31)=相沢病院。2009年からサポートしているのが、所属先の相沢孝夫理事長(70)だ。無名の頃から支え続ける理由などを語った。
小平の“所属企業”は病院だ。長野県松本市にある相沢病院は、10年バンクーバー五輪のシーズンが始まる2009年から、当時まだ無名だった小平を支え続けてきた。
長野の拠点を変えず競技を続けたいと希望していた小平。しかし不況もあって所属企業はなかなか決まらず、信州大卒業間近の3月、結城コーチと病院のスタッフとが知り合いだったことや、小平が病院でリハビリを受けていたという縁もあり、相沢病院を頼った。
「長野の人が長野で五輪を目指したいと言っているのに、どうして長野の企業はできないの。みんなができないなら僕がやるよと」と振り返るのは相沢孝夫理事長だ。「一流になることは期待していなかった。(周囲からは)広告価値がって言われるけど、相沢病院の名前が出たからって患者さんが来るわけじゃない」。初対面にして小平は、下心なしにその姿勢を支えたいと思える人だった。
その後、バンクーバー五輪団体追い抜きで銀メダルを獲得。メダルを持って小平は病棟を回った。「持っているパワーを伝えてくれて患者さんもすごく元気になったし、小平さんのファンになっちゃった」と理事長。ひたむきな小平の姿とその魅力は、自然と病院内で広がった。
ソチ五輪後のオランダへの武者修行も「スタッフの海外留学」という形で支援。小平は「金銭面のサポートがないと無理だった」と感謝する。W杯などの海外遠征へも、できるだけビジネスクラスを利用できるよう支援。17年4月からはサポート役としてソチ五輪代表で栄養士の石沢志穂氏も雇用した。
支援金は年間約1000万円。それでも「(病院内から)不満もあまり聞かないし、もっと言えば、私がもらっている給料を半分にすればいい」と相沢理事長は笑って話す。これだけ小平が有名になった今も「病院そのものにとってメリットがあると思えない。盛り上がって、一体感があって、仲間意識を持てる。それが重要」と語った。そんな応援を小平は「すごく温かい」と感謝した。
「今できることを全力でやる小平さんの生きざまが好き。だから人の心に何かを残すのだと思う」と周囲の思いを代弁した理事長。金メダルという結果以上に、小平の滑りは人を魅了し、力を与えた。