伝統の500、メダル奪回ならず 苦境のスピード男子
常に日本の期待種目だったスピードスケート男子500メートル。山中大地が5位、加藤条治が6位に入賞したものの、2010年バンクーバー大会以来のメダル奪回はならなかった。小平奈緒と高木美帆がそれぞれ複数メダルを獲得し盛り上がる女子に対し、男子はここまでメダルゼロ。輝かしい歴史を持つ種目の不振が日本男子の低迷を象徴している。
▽色あせる栄光日本スピードスケートは、男子500メートルを軸に歴史を刻んできた。戦後、世界と対等に戦える選手を初めて輩出したのもこの種目だった。1960年代に世界記録を出した鈴木恵一。3度の五輪は64年インスブルックの5位が最高だが、日本の短距離は世界に通用するとの自信を植え付けた。
84年サラエボ五輪の500メートルで北沢欣浩が獲得した銀が日本スピード陣のメダル第1号。その後、この種目ではバンクーバー五輪までに計9個のメダルを積み重ねた。98年長野では清水宏保が初の金メダルに輝いた。
その間、メダルを逃した五輪でも8位以内の入賞は果たしている。今回も山中、加藤の健闘で、日本男子短距離は依然、世界のトップからそれほど遠くない位置にいることは示した。しかし、一時期の輝きは色あせつつある。
▽奇跡は起きない男子の不振について、長野五輪などで日本代表監督だった石幡忠雄氏は「一発を狙ってメダルを取れるほど五輪は甘くない。女子の小平、高木のようにワールドカップ(W杯)で常時、表彰台に上がる実績を積まなければ。五輪で奇跡は起きない」と厳しくコメントした。
今季のW杯で表彰台に上がったのは山中の2位が1度だけ。長谷川翼は出場回数が少なく、加藤は強豪が集まるAクラスのレースには出ていない。女子の小平、高木らに比べて、男子はトップレベルでの実戦経験でも劣っていた。
石幡氏は元エースの加藤について、実業団チームを離れ練習環境に問題があったと指摘した。加藤は好スタートを切ったものの、第2カーブの出口では外側に膨らみタイムをロス。石幡氏は「素質で滑れるのは300メートルまで。残り200メートルはきちんとしたトレーニングを積んでいなければもたない」と分析した。
▽実業団撤退、エース不在スピードスケートは高校、大学、実業団の連携によってメダル有望選手を育ててきた。男子500メートルの好調時は、日本特有の企業スポーツ全盛時代。しかし不況により実業団チームが相次いでスケートから撤退し暗い影を落とした。
当時の有力チームで、現在も残っているのは旧三協精機を引き継いだ日本電産サンキョーと女子の老舗、富士急くらい。王子製紙、西武グループのコクド(旧国土計画)、西武鉄道などの名門スケート部が姿を消し、中小企業の熱心なスケート部も数多く廃部に追い込まれた。高校や大学からの有力選手の受け皿が極めて少なくなっている。
打開策として結成されたのが日本スケート連盟のナショナルチーム体制。所属の垣根を越えて長期合宿を行う「エリート強化」システムだ。ただ女子では大きな成果を出しているが、男子はまだ結果が出ていない。かつてともに世界記録をマークした清水や加藤のような「エース不在」も、活気を欠く要因になっている。(共同通信=荻田則夫)