次への挑戦が始まった 「成田収平 スキーの味方の見方」

 成田 収平(なりた・しゅうへい)明治大スキー部・総監督。青森県弘前市出身。青森・東奥義塾高、明治大、リクルートでノルディックスキー複合選手として活動。1985年ノルディック世界選手権代表。全日本スキー連盟では複合のヘッドコーチ、部長を経て、2015年10月から17年6月まで競技本部長を務めた。指導者として冬季五輪5大会など主要国際大会を経験。現在は治療院とマッサージ店の代表。53歳。
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 スキーは距離の女子30キロ・クラシカルが平昌五輪の最後を飾る種目として行われました。前日の男子50キロ・クラシカルとともに、メダル授与式は閉会式で行われます。夏の五輪のマラソンと同じ扱いです。五輪というスポーツの祭典を締めくくるものとして重要視されています。

 そこで石田正子は10位と健闘しました。8年前のバンクーバー五輪で日本の距離史上最高となる5位入賞を果たした彼女の得意種目です。私はもちろんですが、本人が一番楽しみにして臨んだでしょう。速いペースについていけませんでしたが、冷静に粘って大崩れしませんでした。37歳の経験がたっぷり詰まったレースでした。よく頑張ったと声を掛けたいと思います。

 平昌五輪が幕を閉じました。まず、スピードスケートの選手とコーチ、スタッフを心からたたえたいと思います。ソチ五輪はメダルゼロでした。日本スケート連盟はその屈辱を胸に、トップの会長から一丸となって強化に努めたと聞きます。その成果が金3、銀2、銅1という計6個のメダルになりました。

 金メダルを取りにいく執念と一体感。士気の高さが生む緊張感。そういったものがテレビ画面からもビシビシと伝わってきました。深く学ばせていただきました。

 苦しさを乗り越えてきた選手たちの笑顔はさわやかで、とてもすてきでした。次の世代を担う子どもたちにとって、光り輝く目標になったと思います。特に金メダルはすごかった。うれしくて、私も涙せずにいられませんでした。

 さて、スキーの選手、コーチや関係者の皆さん、本当にお疲れさまでした。最後までメダルにこだわり、あるいは一つでも順位を上げようと奮闘した姿に改めて感動しました。

 ただ、メダル数はソチ五輪の7個から4個(銀=ノルディック複合個人ノーマルヒル・渡部暁斗、スノーボード男子ハーフパイプ・平野歩夢、銅=フリースタイル男子モーグル・原大智、ジャンプ女子・高梨沙羅)に激減しました。大会前には皆川賢太郎・競技本部長が「メダル10個以上」と目標を上方修正するほど威勢が良かったのですが…。この結果をどう評価するのか、気になるところです。

 平昌五輪が終わり、次の2022年北京五輪への挑戦が始まりました。今回の結果を受けて、選手やコーチ、スタッフはこれから何をするべきか、明確に分かっているでしょう。組織(全日本スキー連盟)はそれを吸い上げ、具体的な計画にまとめ、支えていってほしい。

 五輪を目指す、未来の金メダリストのために。

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