「みんな、病気だったこと忘れてないですか?」恩師が語る、病を言い訳にしない池江の強さ
「パリ五輪・競泳女子100mバタフライ・準決勝」(27日、ラデファンス・アリーナ)
3大会連続のパリ五輪に挑戦した池江璃花子(横浜ゴム)は、女子100メートルバタフライ準決勝を57秒79の全体12位で泳ぎ、決勝進出とはならなかった。
19年2月に白血病を公表してから、約5年。21年東京五輪はリレー種目で奇跡の出場を果たし、今大会は16年リオデジャネイロ五輪以来、2大会ぶりに個人種目で世界の強敵と戦った。
完全復活への努力を積み重ねる中、池江はあることを言ったことがない。小学生時代のコーチで、今でもシーズンオフに共に食事をする清水桂さん(49)は、こう語る。
「タラレバは言わないし、過去を振り返らない。『タイムが出ないのは病気だから-』と言ってしまった方が楽になるし、みんなもちろん納得する。でも彼女の口から病気を言い訳にしたことは聞いたことがない。それが池江璃花子スタイル。かっこいいですよね」
力を発揮できなかったパリ五輪100メートルバタフライ準決勝レース後は「頑張ってきた分、無駄だったのかな」と号泣。ただ最後は「勝負の世界。勝てなきゃ意味ない。4年後リベンジしに帰ってきたい」とアスリートとしての言葉を並べた。
出会いは池江が3歳の時。清水さんが務める東京ドルフィンクラブにある16段階の検定試験を、通常の約4倍の速さで駆け上がっていった。最終テストの100メートル個人メドレーも余裕の通過。平均で小学生2年が進む選手コースに幼稚園で昇進した。
「天真らんまん×10」。池江を表現するときは、今も昔もこの言葉がぴったりだという。報道陣の前ではハキハキと話す姿が印象的だが、身内同士で顔を合わせたときは自分が話したいこと優先で、会話は成り立たないのが基本。小学生時代の練習では友達とはしゃぎ、底抜けに明るい笑顔を常に振りまいていた。
ルネサンスに移籍し、手元を離れたまな弟子の活躍を見守っていた19年2月。会議中の清水さんの携帯が何度も鳴った。過去に取材を受けた記者からだった。「聞きましたか。池江さん白血病って」。
本格的な治療を始める前にお見舞いに行った。当時池江は、日本新記録を連発して東京五輪金メダル候補と呼ばれていた時代。本人の気持ちに思いをめぐらせ、最高級のイチゴを持参して扉を叩いたが、そこには「暇だ~毎日ネットフリックスでも見ようかな」といつも通りの池江がいた。「気丈に振る舞ってたかもしれないけど、それでも彼女は常々明るい」(清水さん)。少しだけホッとした。
白血病を乗り越えた池江は右肩上がりで力を取り戻し、今年3月の選考会では個人種目でパリ五輪切符を獲得した。会場の東京アクアティクスセンターで日焼けした池江を見つけた清水さんは「焼けたな!」と声をかけた。「まず違うでしょ!コーチ!なんて言うの?」。「五輪出場おめでとう!璃花子やっぱりもってるよ」。自慢げににっこり笑う姿は、小学生の時から変わらなかった。
五輪の舞台に戻れただけでも、池江が与える感動は計り知れない。ただ本人は28年ロサンゼルス五輪でリベンジを果たそうとしている。「彼女にはすごい神様がついてるんですよ。闘病中に容態がかなり悪化したのも聞いている。最近の活躍を見てると、みんな病気だったことを忘れてないですか?そう思わせるくらい彼女はすごい」。教え子の活躍に清水さんは誇らしそうだった。(デイリースポーツ・谷凌弥)