初出場の岡慎之助が金メダル!大けが乗り越え、日本勢個人総合4連覇繋ぐ 巨人・阿部慎之助監督が名前の由来の20歳が美しき放物線

 「パリ五輪・体操男子個人総合・決勝」(31日、ベルシー・アリーナ)

 初出場の岡慎之助(20)=徳洲会=が6種目合計86・832点で金メダルを獲得した。12年ロンドン、16年リオデジャネイロ五輪の内村航平、21年東京五輪の橋本大輝に続き、日本勢は4連覇を達成した。連覇を狙った橋本は6位に終わった。

 初出場ながら予選、団体を好演技を続けてきた男が、一気に頂点に駆け上がった。床、あん馬とハイスコアで好発進すると、つり輪では当初、橋本と同じく技の認定がされず5・9の構成が5・7とされたが、日本側が審判に確認を求めた結果、5・9に修正。前半3種目を終えて、42・932点で首位に立った。

 後半も跳馬で14・300点、平行棒で15・100点のハイスコアをマークし、首位で最終種目へ。2位と0・334点差で迎えた鉄棒でも演技を美しくまとめきり、頂点に立った。 

 潜在能力を「フェラーリ」に例えられる逸材が、夢舞台で輝いた。19年世界ジュニア金メダリスト。ただ、大きな挫折が襲った。22年の選考会で跳馬の着地の際に右膝前十字靱帯を完全断裂し、全治8カ月の大けがを負った。

 それでも懸命なリハビリを経て、パリ五輪最終選考会の24年NHK杯で初優勝を果たした。

 名前の慎之助は、父泰正さん(44)が巨人の阿部慎之助・現監督のファンだったことから「スーパースターになってほしい」との願いで名付けられた20歳が、美しい放物線を描いた。

 ◆岡 慎之助(おか・しんのすけ)2003年10月31日、岡山県出身。4歳で体操を始めた。おかやまジュニア体操スクールを経て、中学卒業後は実業団・徳洲会入りした。19年世界ジュニア選手権では団体、個人総合の2冠に輝いた。ただ、幼少期から体操一筋。155センチ、54キロ。血液型はO。

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