直接FKのなでしこ北川ひかる 人前で弱さは一切見せない 秘めた心の強さ 母とINAC社長が明かす横顔
「パリ五輪・サッカー女子・1次リーグ、日本3-1ナイジェリア」(31日、ボジョワール競技場)
1次リーグ最終戦でC組の日本はナイジェリアに3-1で勝ち、2勝1敗の勝ち点6として同組2位で2大会連続の準々決勝進出を決めた。2-1の前半追加タイムに北川ひかる(27)=INAC神戸=が直接FK。勝利を決定づける3点目を挙げた北川は、強気なプレーとぶれない芯の強さでサッカーに全てをささげてきた。所属のINAC神戸・安本卓史社長(51)と北川の母・美千代さん(60)が彼女の横顔を語った。
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熱い闘志と芯の強さが北川のプレーを支える。安本社長は北川を「ヘディングのゴールが多い。恐れずに頭からいくんです」と評価する。今年3月31日・C大阪ヤンマー戦では、相手選手との競り合いで頭部を負傷した。「額のたんこぶが腫れ上がり、脳振とうを心配した」と安本氏。それでも精密検査で問題ないと診断されると、なでしこジャパンの米国遠征に本隊から半日遅れで合流した。「ガッツあふれるプレーには驚かされる」と舌を巻く。
サッカーとの出会いは4歳の時、金沢市内で通っていた保育園のサッカー教室だった。小学校で「星稜PELバディー」で本格的にプレーを開始、才能を開花させる。母・美千代さんは、幼少期の北川を「才能は全然ない子だと思うが、負けず嫌いで努力家」と明かす。「コーチに強い口調で指導されることもあったが、ひかるは帰りの車までは泣かずに我慢して、車に乗ってから泣いていた。私が『もうサッカーやめる?』と聞いても『やめない!』って」。人前では涙を見せず、歯を食いしばって耐える子だった。
そんな少女は中1からサッカーを専門的に学ぶ施設「JFAアカデミー福島」に進んだ。しかしアカデミーに入って1年がたとうとしていた2011年3月、東日本大震災が福島を襲う。「慌てて電話したがつながらず、避難所の娘と話せたのはだいぶ後でした」と案ずる母に、北川は電話口で「大丈夫だから心配しなくていい」と気丈に返した。しかし「後でアカデミー関係者に聞くと、ひかるがチームで一番泣いていたそうです」と美千代さんは振り返る。
6月、WEリーグを終えて金沢で家族とオフを過ごしていた時に、なでしこ入りの知らせが入った。「ひかるが頑張ってきた証。翌日の新聞に大きく出て、すごい大きなことをするんだなと思うと、涙が止まらなかった」。JFAアカデミー合格から入寮までの半年間、寂しさから毎晩のように娘に添い寝して泣いていたという美千代さん。北川は、母の涙を14年後にうれし涙に変えた。
◆北川ひかる(きたがわ・ひかる)1997年5月10日、金沢市出身。小学校卒業と同時にJFAアカデミー福島に入校。16年に浦和レッズレディースに加入。18年に新潟へ移籍。23年7月にはINAC神戸に完全移籍し、23-24WEリーグは22試合で6得点。日本代表には17年に初選出され、通算10試合出場。164センチ。利き足は左。