「芸能人になったのか?」批判も浴びたウルフ・アロン 引退も考えた低迷期経て万感の涙「戻ってきてよかった」激太りから復活

 「パリ五輪・柔道男子100キロ級・敗者復活戦」(1日、シャンドマルス・アリーナ)

 東京五輪金メダルのウルフ・アロン(28)=パーク24=は、シェラザディシビリ(スペイン)と対戦。延長戦の末に6分47秒、内股透かしで一本負けを喫し、メダル獲得はならなかった。大会前には「現役で目指す最後の五輪」と集大成と位置づけていたが、「(その気持ちは)変わらない。ここで(結果が)どうなろうと、これ以上(五輪に向けて)続ける気持ちはない」と語った。

 集大成の大舞台で、引き締まった肉体、短く刈り込んだ頭と精悍な顔で戦い抜いた。最後は得意技の内股で勝負を懸けたが、透かされて玉砕し、畳の上で大の字になった。「終わったな」。戦い終えた後、目に涙を浮かべながら言った。「この3年間があって、この舞台に戻ってきて良かったなと。負けて悔しいし、最後まで(得意の)内股でいって、最後負けてしまったり、いろんな感情が交差した」

 一度頂点を極めた後は険しい道のりが続いた。東京五輪後は休養し「逃走中」「イッテQ」といったテレビの人気バラエティ番組などに多く出演。軽妙なトーク力で人気者となり、引っ張りだことなった。ただ、それもウルフの中では柔道の普及や知名度アップを狙ったもので「柔道という競技は知ってもらえてるけど、選手は知ってもらえてない。メディアに出ることによって知ってもらい、この人好きだから柔道の試合を見に行こうってところにつながる」。メディア出演は年内でいったん区切りをつけた。

 ただ、休んでいた間の代償は大きく、21年末には、まるで別人のような、ふくよかなシルエットと化した。ウルフは後に「最高で125キロ」と打ち明けたが、関係者によれば「130キロはいってた」という声もある。当時、車でテレビ局や収録現場への送り迎えをしていたという付け人の宇田川力輝さんは「ケータリングにハマって、収録の合間にずっと食べていた。常に何かが口に入っていた」と振り返る。

 年明けの22年からは本格的な稽古も再開したが、柔道界の功労者に厳しい視線も注がれた。代表選考の会議の場で、強化委員からは「ウルフは戦える状態なのか?」「芸能人になったのか?」と、痛烈な批判も飛び交った。同年10月に実戦復帰したものの、一時の“激太り”からの減量苦によるコンディション不良、試合のブランクやルール改正、勢力図の変化などで、なかなか優勝できない日々が続いた。そのたびに、SNSなどで心ない声もあふれた。

 五輪前年の23年に入ってからも国際大会で敗退が続き、自信を失った。「負けが続いたときが一番つらかった。今なんで柔道やってるのか、わからなくなった」。気心知れた仲間内で食事に行った際には、酔いが回ってくると「俺、頑張ってるよな?」と、泣きながら自分で自分を慰めるようにつぶやく姿があったという。宇田川さんは「泣き上戸になっていた」と明かす。

 引退も何度も考えたが、同階級はウルフだけでなくライバルも不振だったことから、14階級で唯一、五輪代表は越年選考となり、首の皮がつながっていた。そして、今年2月のGSパリ大会では2年7カ月ぶりの復活優勝を果たし、男泣き。長い低迷期を経て、五輪2連覇への挑戦権をつかみ取った。

 苦しみを経て「現役で目指す五輪は最後」と、集大成と位置づけた大舞台で返り咲きを期したが、メダルには届かなかった。「一度はやめようとした柔道。結果を残すことができなかったが、この舞台に戻って来ることができて良かった」と万感の涙をぬぐった。

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