やり投げ金・北口榛花の人生を変えたセケラク・コーチとの出会い やり投げ大国・チェコに単身で飛び込んだ20歳の決断

 金メダルを獲得した北口榛花(左)を祝福するセケラク・コーチ(撮影・吉澤敬太)
 金メダルを獲得し、飛び跳ねて喜ぶ北口榛花
2枚

 「パリ五輪・陸上女子やり投げ・決勝」(10日、フランス競技場)

 世界女王の北口榛花(26)=JAL=が今季ベストの65メートル80で日本女子トラック&フィールド種目では初となる金メダルを獲得した。日本陸上界では、2004年アテネ五輪の男子ハンマー投げ・室伏広治、女子マラソン・野口みずき以来20年ぶりの優勝となった。

  ◇  ◇

 人生を変える出会いだった。コーチ不在に悩んでいた18年11月、北口は「やり投げのことを知らなすぎるから勉強しに行こう」と一大決心。世界の環境を知るため、フィンランドで行われたやり投げ講習会に参加した。

 その講習会では最終日に親睦会があった。チェコとポーランドのコーチ4人にいきなり「(北口を)知っているから、おいで」と呼ばれた。「コーチがいない」と打ち明けられたセケラク・コーチは「すごく驚いた」。4人は次々と「練習は何してるの?」「(東京)オリンピックがあるぞ」と質問攻めにした。北口は「世界記録を投げたい」という夢を明かした。

 セケラク・コーチとの交渉は英語で行われたが、いざチェコに渡ると「詐欺かなと思うぐらい」英語がしゃべれなかった。最初は1カ月滞在し、スーパーや宿泊場所、練習場所への行き方まで、全てを根掘り葉掘り聞いて本気度を伝え、本格的にチェコを拠点にすることが決まった。

 男女の世界記録保持者を輩出したやり投げ大国・チェコで、技術と精神面を磨いた。結果はすぐに出た。19年5月に64メートル36で日本新を更新。同年10月には66メートル00とまた日本記録を塗り替えた。

 単身でのチェコ生活。拠点を置くドマジュリツェは「チェコのド田舎」だった。娯楽は決して多くはなかったがセケラク・コーチの妻が経営するペンションに住み、慣れていった。ただでさえ大変な環境だが、英語を話せる人が少数派だったことにも苦しんだ。現地の大会はチェコ語でしか案内がなかった。「順番も記録も分からない。本当に何も分からないのは不安だった」。ハードなトレーニングに加えてチェコ語も勉強した。

 セケラク・コーチは「すごく難しい発音も覚えている」と競技外での驚きの吸収力を語る。当時について「すごく寂しかったと思う。1人で小さな離れている町で暮らし、トレーニングもすごく大変だった」。数年たち、教え子から「次の年にもう帰りたかったよ。もう辞めたかった」と明かされたこともある。

 今では時間があれば近所を散策し、セケラク一家と食事にも出かけるほどチェコになじんだ。「チェコに合宿に行こうって自分でやった時点で殻を破っていた。それに成績がついてきた」-。栄光の未来をつくったのは、20歳の自分だった。

パリ五輪最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング(スポーツ)

    話題の写真ランキング

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス