飛び込み銀・玉井陸斗 「11歳にさせることじゃない」飛躍支えた地獄の中国合宿 日本を背負う未来信じ重ねた努力

 銀メダルを手に喜ぶ玉井陸斗=アクアティクス・センター(撮影・吉澤敬太)
 兵庫・宝塚市立高司中に入学した玉井(ご家族提供)
 飛び込み競技を始めた小学1年生の玉井(JSS提供)
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 「パリ五輪・男子高飛び込み・決勝」(10日、アクアティクス・センター)

 玉井陸斗(17)=JSS宝塚=が合計507・65点で日本飛び込み界初のメダルとなる銀メダルを獲得した。1本目から首位争いを繰り広げた玉井だったが、5本目で大きなしぶきをあげる失敗。3位に落ち、4位とも約5点差に迫られたが、最終6本目で完璧なダイブをみせ、この日全体トップの99点をマーク。銀メダルをもぎとった。

  ◇  ◇

 パリ五輪の男子10メートル高飛び込みで、日本勢初の銀メダルを獲得した玉井。17歳で世界トップの実力を身につけた理由には、五輪6大会出場のレジェンド・寺内健さんも「地獄」と表現する馬淵崇英コーチが指導するチーム伝統の中国長期合宿があった。

 ハード過ぎた。1日8時間以上の練習が、1カ月続いた合宿終盤の深夜。小学生の玉井は、寝言でつぶやいた。

 「あと2日だ…」

 飛び込み大国・中国出身で、寺内健さんらを育てた馬淵コーチが指導するチーム伝統の中国長期合宿。玉井は11歳で初めて同行することになった。初飛行機で初海外。「飛行機!パスポート!すごい」。だが、わくわくした気持ちは、上海に到着後に一変した。

 宿舎とプールの距離はわずか徒歩5分。朝練は午前6時半から始まった。「イー、アー、サン、スー」と中国語で号令をかけて体操し、照明もまだついてない暗いプール周辺をランニングする。肋木(ろくぼく)にぶら下がって重りを付けた足を、手の位置まで上げる過酷すぎる腹筋も早朝から行った。朝食を食べた後は、午前9時からトランポリンで踏み切りのフォームを確認。プールに移動し、午前は3時間、2時間半の休憩をはさみ、午後からはまた4時間も飛んだ。

 まだ幼かった玉井は、体への負担を考えて10メートルからのダイブは少なかったが、難度の高い技に挑戦する将来を見据え、3メートルや5メートルの高さからひたすら基礎を繰り返した。他の選手が練習を終えて宿舎に戻っても、馬淵コーチが納得する演技ができるまで玉井は終われない。飛び込み台にぽつんと立つ身長140センチに満たない少年と、プールサイドで熱を帯びた声で指導する馬淵コーチ。2人で“貸し切りプール”にすることはざらだった。「めっちゃ寂しかった。失敗しても誰も笑ってもくれない。11歳にさせることじゃない」と、今でこそ玉井は地獄の日々を笑って振り返る。

 ただ幸運だったのは、寺内さんをはじめ、荒井祭里、板橋美波など五輪を志す選手に囲まれたことで、厳しい練習を“苦”に感じなかったこと。翌年に行った2度目の中国合宿は、10メートルから世界トップレベルの技を泣きながら飛ぶ毎日が1カ月以上続いたが、「みんなで五輪に行くのかな」と、日本飛び込み界を背負う未来を信じて踏ん張ることができた。

 中国合宿を乗り越えた玉井は、翌年の日本室内選手権で衝撃のデビューを果たす。12歳7カ月で史上最年少日本一。東京五輪は14歳で7位入賞し、その3年後にはパリで銀メダルを獲得する快挙を達成した。記録だけを見ると順風満帆に見えるが、決してただの天才ではない。結果の裏には11歳で親元を離れ、異国の地で泣きながら練習に打ち込む努力があった。

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