金メダリスト高藤直寿とは 2児の父親 リオ五輪銅で長男から「なんで?」
「東京五輪・柔道男子60キロ級・決勝」(24日、日本武道館)
リオ五輪同級銅メダルの高藤直寿が悲願の金メダルを獲得した。決勝で楊勇緯(チャイニーズタイペイ)をゴールデンスコア方式の延長戦の末に破り、日本勢金メダル1号となった。
初戦を内股で一本勝ちを飾ると、準々決勝、準決勝はゴールデンスコア方式の延長戦を制して、決勝にたどり着いた。決勝は一進一退の攻防。最後は楊に3つ目の指導がいき、相手の反則で高藤の勝利となった。
【高藤メモ】
◆生まれ…1993年5月30日、栃木県下野市出身。
◆スタイル…左組みで、得意技は小内刈り。
◆サイズ…160センチ。
◆経歴…7歳から柔道を始め、各世代で日本王者に。東海大相模中、高、東海大と進み、現在はパーク24所属。世界選手権は13、17、18年で優勝。16年リオデジャネイロ五輪は銅メダル。
◆家族 妻と長男、長女。
◆五輪への意識…小学校1年生で、00年シドニー五輪を見たのがきっかけで「井上(康生)監督とか野村(忠宏)さんが輝いている姿を見て、僕もあの場で戦って金メダルを取りたいと思った」。
◆柔道マニア…他階級も含めて柔道の試合を見ることが好き。6月の世界選手権(ブダペスト)も連日、日本時間深夜まで試合が及んだが、「寝不足にならない程度にと思っていたけど、ずっと見てしまった(笑)」。コロナ禍での自粛期間も試合動画を見ることに時間を費やし、「研究しようと思ってるわけじゃなく、普通に見ているのが楽しいので。YouTubeに(関連動画で)おすすめされるがままに見ていた」
◆内面の成長…大学2年時の13年世界選手権で優勝した頃は奔放で、集合時間に遅刻することもあったが、現在は改善。「発言もスタイルも若かった。そういう時期があったからこそ、試合における怖さが分かった。大人になって落ち着いて試合をできるようになった」
◆全日本選手権に挑戦…世界王者になった翌年の17年、体重無差別の全日本選手権に異例の初挑戦を果たした。最軽量級ながら100キロ級の選手と戦い、健闘を見せたものの3分3秒で一本負け。「もっと強くなって、五輪王者になってもう一度挑戦したい」と雪辱を誓った。
◆ルーティン…リオ五輪までは試合前に畳で後ろ受け身を取るルーティンをしていたが、五輪当日の初戦が終わった後に「遅延行為だから次やったら失格にする」と言われた。「そこでメンタル的に崩れた部分があったので、逆にルーティンを何もしないように、いつどんな時でも、どんなメンタル状態でも試合できるように準備しているので、ルーティンはあえてしていません」
◆長男の言葉…「なんで金メダルじゃないの?」 自宅には大会のメダルを飾っているが、昨年、運動会で1位となった長男から、リオ五輪のメダルが金色じゃないことを指摘された。「『こっちは金メダルだよ』的なところから始まって…。なので本物の金メダルを見せてやろうと思います」
◆ゲーマー…ゲーム部屋にモニター2台を置くほどのゲーム好きで、オンラインで「フォートナイト」をよくやっている。大会前、五輪後の自身へのご褒美を問われると「最高の金メダリストにふさわしいゲーミングPC(パソコン)がほしい。中身をカスタマイズしたとびきりなやつを。今は入門的なので頑張っているので」と話していた。
◆漫画の影響…昨年「鬼滅の刃」にハマり、愛犬は「炭治郎」と名付けた。五輪に向けても「リアルに“全集中”でいかないといけない」
◆試合前に食べるもの…カステラ。