水谷隼 ゲームで鍛えた勝負勘「目の異変」に腰痛 苦難乗り越え「集大成」で世界一に
「東京五輪・卓球混合ダブルス・決勝」(26日、東京体育館)
日本卓球界初の金メダル-。混合ダブルス決勝で水谷隼(32)=木下グループ、伊藤美誠(20)=スターツ=組が、許シン、劉詩ブン組(中国)を4-3で破り、優勝した。1988年ソウル五輪で実施競技になった卓球。19年世界選手権個人戦を制した強豪ペアの牙城を崩し、日本勢の悲願だった金メダルを今大会の新種目で獲得した。
日本卓球界を引っ張ってきた水谷が「集大成」と位置づけた舞台で大輪の花を咲かせた。前回大会で男子初のメダルを獲得し、初の全日本選手権V10などの金字塔を打ち立ててきたパイオニア。母・万記子さん(59)が「あの子は“初”がつくものに強い」と評する通り、今大会から初めて実施された新種目で、日本初の金メダルを手に入れた。
日本男子の第一人者にとって16年リオデジャネイロ五輪は大きな転機だった。以前はいくら活躍しても、福原愛や石川佳純らスターを抱える女子の影に隠れがち。それをひっくり返したのが、自身がつかんだメダルだった。リオから帰国すると一変。バラエティー番組に引っ張りだこで、NHK紅白歌合戦にもゲスト出演。かつてはダサいと偏見を持たれた卓球男子のイメージを払しょくした。
しかし、リオ以降は苦難だった。2度のレーシック手術後に目に異変がおき、会場の照明やLED広告のまぶしさで視界から球が消える。かつて視力2・0を誇っていたが、コンマ何秒の世界で戦う者としては死活問題。海外の名医にも診察を受けたが、一様に「異常なし」。サングラスを掛けるなど工夫を重ねたが、改善はしなかった。19年全日本選手権は攻撃的なプレーで10度目の優勝を果たしたが、父・信雄さん(61)には「球が見えないから早めに仕掛けたのが、たまたま当たった。優勝したのは奇跡」と明かしたという。
慢性的な腰痛も抱えるなど満身創痍(そうい)。指定席だった五輪のシングルス代表も逃し、投げやりになることもあったが、最後のモチベーションが混合ダブルスだった。
「自分がまだ到達していない金メダルを獲得してどういう景色なのか見たい」
5歳で卓球を始めた。幼少期からミスをしない技術を備えていたが、それ以上に非凡だったのが勝負勘の鋭さ。「勝負師なんですよね。度胸がある」(父・信雄さん)。ゲームセンターで100円玉1枚を渡せば、ゲームオーバーせずに延々とやり続ける。ルーレットをやれば、大胆に全額をベットし的中。映像記憶にも優れ、神経衰弱では無敵だったほか、小学校のオセロ大会ではクラスで優勝した。家では「ぷよぷよ」「ストリート・ファイター2」「桃太郎電鉄」などテレビゲームに熱中。常に勝利への法則性を見いだした。
頭を使いながら動き続けるという“究極のゲーム”が卓球だった。伊藤という最強の知己を得て、不世出の天才がついに世界一になった。