五十嵐カノアは悔し涙の銀 台風8号の中で強豪続々と撃破、初代王者まであと一歩
「東京五輪・サーフィン男子・決勝」(27日、釣ケ崎海岸サーフィンビーチ)
競技初の銀メダリストの頬に涙がつたった。東京五輪新種目のサーフィンで、男子決勝は日本エースの五十嵐カノア(23)=木下グループ=は、19年世界王者のイタロ・フェヘイラ(ブラジル)に敗れ、銀メダル。目標だった金メダルには届かず涙に暮れた。女子は都筑有夢路(あむろ、20)が銅メダルを獲得。台風8号の影響で荒れ狂う海で、日本勢2人が表彰台にのぼった快挙だった。
銀メダリストとは思えないほど、背中には哀愁が漂っていた。優勝を逃した五十嵐は涙が止まらず、数分間海から引き揚げなかった。ようやく岸にたどり着くと、左手で涙をぬぐい、悲痛な表情でバッと海を振り返る。吸い込まれるように膝から崩れ落ちて両手で顔を覆うと、その手を砂浜に下ろし、頭を打ちつけて心の中でこう話した。
「ありがとう」-
喉から手が出るほど欲しかった金メダル。あと一歩まで迫っていた。悔しい。悔しい。涙が海に溶ける中、浮かんだのは感謝の言葉だった。「悔しかったんです。でも悔しい中で“ありがたい”と思って。海の中の神様に“ありがとう”と言った。ここまできてよくやったなと」。
大健闘と言うほかない。台風8号の影響で荒れ狂う波に挑んだ朝一番の準々決勝。強豪のブラジル選手を相手に、空中で横回転する「エアリバース」の大技で9・33点を出し大逆転した準決勝。海の神さえも味方だった。初代王者まであと一つ-。そこで見誤ってしまった。
決勝の合図が鳴ってすぐ、フェヘイラが板を折るハプニングがあった。大チャンスも、そこで波を読み間違えた。「10分で変わるコンディションに気がつかなかった。最初から移動すれば良かった」。本領を発揮できずに初の夢舞台は終わった。
生まれは米国。父・勉さんからは将来トップアスリートになることを期待され、“英才教育”として幼少期からトップ選手の試合につれていかれた。「世界で一番すごいサーファーだけでなく、世界で一番すごいアスリートになりたい」。志は自然と高くなった。
転機は14歳だった。左足を骨折し、約5カ月間全くサーフィンができなかった。「ショックだった。どのぐらいサーフィンが好きだったかよく分かった」。15歳で競技に復帰し、心を入れ替えて真剣に取り組んだ。努力は報われ、16年にプロ最高峰のチャンピオンシップツアー(CT)に初参戦。19年にはツアー大会の一つで優勝も経験した。
日米両国籍を持つが、18年から日本代表として戦うことを選択した。「日本の地で、日本人としてやりたい」。両親は日本人。ルーツがある国での夢舞台へ、固い決意で臨んでいた。
「金メダルに近づいたことは一生忘れない。早く次の大会の準備がしたい」。3年後はパリ五輪。必ず金メダルを獲得し、世界中に歓喜の“嵐”を巻き起こす。