橋本大輝“廃校から世界一”美しい体操作り上げた秘訣はピットなし 恩師語る少年時代

 「東京五輪・体操男子個人総合・決勝」(28日、有明体操競技場)

 男子個人総合決勝で橋本大輝(19)=順大=が6種目合計88・465点で金メダルを獲得し、同種目の日本勢で最年少王者に輝いた。2012年ロンドン、16年リオデジャネイロ両五輪で内村航平(ジョイカル)が2連覇しており、日本勢が3大会連続で頂点に立った。体操で通算100個目のメダル。予選の得点は持ち越さず、計6種目の合計得点で争われた。

 廃校の体育館が原点だ。6歳から中学卒業まで橋本が通った千葉・香取市の佐原ジュニア体操クラブの山岸信行コーチ(65)は、活躍ぶりに「練習するしかうまくならないことを知っている」と目を細める。2009年、山岸コーチが廃校した沢小学校に立ち上げた体操クラブ。そこに全てが詰まっている。

 「道具は持ち込み。『山岸コレクション』」。一つ一つが高額な体操器具を、山岸コーチは「基本的には自腹」で買い集めた。つり輪にはバスケットゴールからぶら下がり、跳馬の助走区間は体育館を飛び出して玄関まで続いている。本来四角形のゆかは、スペースの関係で縦長だ。「言えない」ほどの金額がかかったが、練習には十分な環境が完成した。

 これが“秘策”だった。この体育館には、けがを防止するピット(器具の下のプールにスポンジが入れられた場所)がない。山岸コーチは「試合はピットの上じゃない」という。「ジュニアのうちは前回りをして、手足を伸ばして、きれいな体操をする。ピットは使わない。そういうことが結局は大事」。ピットがないことで、自然と細部まで突き詰めることができた。「体操は減点競技。(演技価値点の)Dで試合はいつまでも続けられない。必ず(実施点)Eが必要になる」。これが今の橋本の美しい体操を作り上げた。

 練習の虫でもあったという。「やりたがりだった。けがしてたって、肘を脱臼したって練習する。鉄棒も、膝や腕が伸びてちゃんと回れないのに次の技をやりたがっていた」。小学校高学年で出場した大会で2位だった際には、1位の選手の技を「その日のうちに全部覚えて帰っていった」。負けん気を発揮したのは、「悔しかったんだと思う。技ができなくて2位になったから」。強気な姿勢もトップへと上り詰める要因だった。

 「廃校から世界一へ」-。山岸コーチの掲げたスローガンは、最高の形で結実した。「いい人でいる。最後は神頼み。運もチャンスあるから」。吉報に少しでもつながるようにと、恩師は笑った。

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