母が振り返る伊藤美誠の成長 基礎の繰り返し生んだ飛躍 リオの挫折を経て練習量3倍に
「東京五輪・卓球女子シングルス・3位決定戦」(29日、東京体育館)
女子シングルス3位決定戦で第3シードの伊藤美誠(20)=スターツ=はユ・モンユ(シンガポール)を4-1で下し、この種目では日本女子初の表彰台となる銅メダルを獲得した。伊藤は水谷隼(木下グループ)と組んで金メダルを獲得した混合ダブルスに続く2つめのメダルとなった。
伊藤がまた一つ歴史に名を刻んだ。女子シングルスで日本勢初のメダルを獲得。最年少の16歳10カ月で団体戦銅メダルを獲得したリオデジャネイロ五輪後の苦悩も経て、絶対的なエースとして成長した5年間の結晶だ。
「本当にキツかったし、その1年間は長かった」。伊藤が顔をゆがめて振り返るのが、五輪翌年の17年だ。幼少期からライバルだった同級生の平野美宇(日本生命)が全日本選手権で優勝。さらに、中国トップ選手を連続撃破してアジア女王となるなど大ブレイクした。一方、自身はなかなか結果を残せず、帰国した空港で平野が報道陣に囲まれる中、それを横目に帰途に就くこともあった。
「そこまで底力が上がっていないし、基本をもっと磨いていかないといけないと。美誠がその後苦しむだろうと見えていた」。リオ五輪までは本番で結果を出すために実戦的なプレーを磨いていたが、その先も見据える母の美乃りさんの目にはこう映っていた。
伊藤が脚光を浴びる間、代表から落選した平野は既に再出発している。「美宇ちゃんが走り続けて成績を出すことも見えていた。それが現実だと。若いうちにそういう勉強できたことはすごく良かった」。現在地を痛感し、次への方向性を模索した。
東京五輪代表争いが本格化する直前、伊藤はまだ3番手集団。「美誠の中でスイッチが入って、どんどん火が付いていった。いつもギリギリになってから力を発揮できる」。自然と練習に熱が入り、午前11時にスタートして終わるのは日付が変わる直前。かつては練習時間が短いことで有名だったが、「以前の2、3倍くらい。自分の納得いくまでやったり、自主練をやっていると、夜の11時くらいまでやっている」(美乃りさん)。トリッキーで独創的なプレーが持ち味だが、ミスを減らすために基本的な練習をあえて重視。ストイックに努力を重ね、18年には対中国選手に勝ち越すなど、大きく飛躍を遂げた。
4歳から本格的に卓球にのめり込み、静岡県磐田市の自宅卓球台で、美乃りさんとマンツーマンで1日7時間の猛練習を積んだ。小学6年の作文では「2020年(の五輪)は個人戦で優勝したい」と書いた。その夢には一歩届かなかったが、さらなる進化への始まりに過ぎない。