柔道ニッポン混合団体は銀 パリ五輪で借り返す!初代王者逃すも胸張る金9銀2銅1
「東京五輪・柔道混合団体・決勝」(31日、日本武道館)
五輪初採用の混合団体で、日本は決勝でフランスに1-4で敗れて銀メダルだった。1人目の女子70キロ級の新井千鶴(三井住友海上)、続く男子90キロ級の向翔一郎(ALSOK)が連敗。女子70キロ超級の素根輝(パーク24)は勝ったが、男子90キロ超級のウルフ・アロン(了徳寺大職)はリネールに屈し、女子57キロ級の芳田司(コマツ)も敗れた。日本は個人戦で史上最多の9個の金メダル(男子5、女子4)を獲得したが、団体での初代王座は逃した。
大トリで構えた主将の大野将平(旭化成)だったが、出番が回ってくることもなく立ち尽くしたまま終わった。フランスとの頂上決戦。金メダリスト3人を擁して初代王者を目指した日本だったが、柔道発祥国の意地を見せられず力負けしてしまった。大野は「優勝に導けなかった責任を感じている。3年後、日本としてリベンジできるように精進したい」と口を真一文字に結んだ。
第1試合の女子70キロ級は金メダルの新井千鶴に対し、63キロ級覇者のアグベニェヌというドリームマッチが実現。しかし、1階級下の女王にパワーで押されて一本負けを喫した。続く、向翔一郎も苦杯。素根輝が一矢報いるのがやっとで、ウルフ・アロンは初対戦の絶対王者リネールに健闘したものの敗れ、芳田司も力なく屈した。
初戦から波乱含みの展開だった。ドイツとの準々決勝は女子57キロ以下で52キロ級金メダルの阿部詩(21)=日体大=を抜てきしたが、57キロ級のパワーに屈し指導3つで反則負け。続いて男子73キロ以下で大野が出陣したが、残り16秒で体落としを食らい「技あり」。大野が海外選手に敗れるのは、不戦敗を除けば14年世界選手権以来7年ぶりで衝撃が走った。
1964年東京五輪では男子無差別級決勝で神永昭夫がヘーシンクに敗れた。57年ぶりの日本武道館での五輪は個人戦で金メダル連発となったものの、新種目の団体戦で完敗。世界が命がけで戦う五輪の畳の厳しさが改めて浮き彫りになった。
これが井上監督ラストマッチでもあった。監督1年目に初めて代表入りし、五輪連覇を達成した大野は「井上体制とともに私の柔道人生があった」と目に涙を浮かべ、「最後に井上監督を男にしたかったが、かなわなかった。選手はみんな監督が大好きだし、尊敬している。これで終わるのはなんとも言えない」と声を詰まらせた。
金ラッシュの陶酔だけで終わらせてくれなかった東京五輪。3年後のパリ大会に向けて宿題ができた。